秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ネットワーク

オレのHPやブログを、オレの知らないところで、愛読してくれている人がいる。

というのは、わかっているが、未知の人で、書き込みをしてくれる人はそう多くない。HPには、投稿フォームを設けているのだが、それを利用してくれる人もそういない。HPの方は仕事の依頼がほとんどで、記事に意見を述べてくれる人は希少だ。

他人のHPやブログに、何事か書き込むというのは、勇気もいるし、個人情報の管理の問題もあって、気軽にいけるものではない。

日常の雑記や生活スケッチのHPやブログなら、敷居も低いのだろうが、オレのHPは、こてこて難しいことが大半だし、ブログはブログで、愛を叫ぶ一方、社会変革を叫んだりもするから、その熱さやアジテーションに、書き込みを躊躇する気持ちになるのは、よくわかる。

そんな中、このところ立て続けに、未知の読者さんからHPのフォームメールからと、ブログからの書き込みをもらっている。

HPで、数ヶ月前に、日本共同体の再建の必要を訴えた評論を二回立て続けに掲載したのだが、実は、そのときから、そのオレの文章を紹介したり、引用しているHPがあることに気づいていた。一部で話題になっていた。

オレの意見に学ぶところありと共感してくれた人たちがいることは、ありがたいし、それは、オレの想定の範囲にあったこでもある。

いまのこの社会のあり方に疑問を持ち、が、しかし、決して玉砕的否定論に終始するのではなく、何がしか社会をよき方向へ進めようという、変革を真剣に考えるものなら、オレが提唱する日本的共同体社会の再建論に賛同しない人はいないと考えているからだ。

オレが長いことやってきた舞台や映像、教育関連のシンポジウムなどのひとつの論理の帰結として、いまたどり着いているのが、日本的共同体社会の再建なのだ。その思いを酒豪編集者Rも巻き込んで、なんとか形にしようともくろんでいる。

その思いに共感して投稿をしてくれてきた人がいた。日本の再建のために、問題点を指摘するHPを知らせてきてくれたのだ。「これからも切れのいい評論を書いてください」というコメントに、感謝。

ブログの方には、自分でもブログを始めた、高校受験を前にした女の子が登場。気づいている人もいるかと思うが、ときどき書き込みに登場してくれるようになった、みかさん。感謝をこめて、勉強の仕方のアドバイスを彼女のブログに書き込みした。

HPを開設したとき、古い友人の女性美術家で、一時メキシコで活動していた奴が、オレのHPをみつけ、巨大SNSに紹介してくれた。まだ、ブログを本格的に始める前だったので、なんとなく参加したが、いまは幽霊登録会員になっている。更新もまったくしていない。

この違いはどこにあったのか。

結論は簡単で、日常生活の雑記帳で、趣味を同じくする人間つながりのネットワークだったから。

オレは、HPもブログも自分の仕事の一環として考え、自己表現の場という視点で書き綴っている。仕事があり、表現があり、それを補完し、支えるものとして、HPやブログをとらえているのだ。だから、仲間内の生活談義、趣味談義には、まったく興味がない。

そこには、社会への眼がないし、自己への眼がない、他者への視線がない。それでは、表現にはならない。

私的なことを書くにせよ、自分はこう思う、こう考えるという世界観がなくては、こうしたインターネット媒体を活用していることにはならないのではないかと思っている。自分はこう思う、こう考えるという世界観が、稚拙であっても、共感できる土壌にあることが、何よりも大切だ。

日本や韓国、中国などアジア諸国では、どうしてもインターネットをプライベート利用しようとする傾向が強い。それが、ネット上のいろいろな問題を生む要因にもなっている。

簡単にいえば、私小説的、個的世界ばかりを語るのだ。私小説的もいいが、前にも書いたように、そこに批評性がなくては、マスターベーションを見させられているようなもので、他者とつながるネットワークの形式にはならない。

レスがなくても、そうしたポリシーやメッセージがあれば、それはきっと届いている。と、オレは考えている。人の心の奥の深層に、少しでもふれようとすれば、当然、レスは少なくなる。読む人の胸に落ちれば、それで簡潔することだからだ。

そうした見えない人々を想定しながら、表現というのは成り立っている。

「作家の内実が、観客を決定する」。オレの尊敬する舞台演出家の言葉。