秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

愛のない世界の片隅で

かつて、大手映画会社には、一つの映画会社と契約した俳優は、他社の映画には出演できないという5社協定(東宝、松竹、大映、日活、東映の協定)というものがあった。
 
そのため、各映画会社は、俳優養成所を設け、新人の発掘に力を入れた。
 
しかし、テレビの勃興と映画の衰退で、契約監督、契約脚本家、契約スタッフといったものが支えられなくなると、映画会社の俳優養成機関もなくなっていった。
 
また、小劇場の乱立よって、演劇の裾野が広がった結果、養成機関を経ていない、素人同然の人間が演劇や映像に出演できるチャンスも広がった。
 
テレビによって、タレントと俳優との壁が失われ、俳優修行の意味が希薄になったこともある。タレント、アイドル、モデルであっても、視聴者への知名度や人気度があがれば、どんなに芝居下手でも、俳優をやることができる時代が来てしまったのだ。
 
ことわっておくが、こうした摩訶不思議なことが起きているのは、世界でも日本だけだ。
 
演劇の本場、イギリスを見ればわかるように、俳優養成機関を卒業していないと、俳優業の仕事につくことは、不可能なのが、世界の常識。これは、韓国・中国といった近隣アジア諸国でも同じだ。
 
ちょっと芝居らしきことをやっただけで、演劇の知識や研鑽もなく、劇作家や演出家、俳優と名乗ることはできないのが、実は、世界なのだ。絵画や音楽と同じように、それほど文化的地位が高く、高い技術と素養が求められる。
 
昨日、撮影が終わり、夜早めに就眠。未明に目が覚め、テレビをつけるとBSで、1990年に公開されたイギリス、フランス、オランダの合作映画『コックと泥棒、その愛人と妻』(監督・ピーター・クリーナウェイ)をやっていた。
 
主人公の人妻役は、エリザベス2世を描いた『クイーン』で、アカデミー賞主演女優賞を受賞したヘレン・ミレン。その残忍な夫役は、マイケル・ガンボン。いずれも、イギリス・アイルランドを代表する名優。ガンボンは、『ハリー・ポッター』の近作で、校長役をやっている。
 
クリーナウェイの視覚芸術の極みといえる絵画的作品であり、ヨーロッパ文化の厚みを漂わせた重厚な作品になっている。
 
むろん、そんな作品は、日本ではつくられることもないし、つくられたとしても観客は支持しないだろう。支持しないのは、意図してそうしないのではなく、興味を持てないからだ。興味を持てないのは、いうまでもない、素養・教養がないだからだ。
 
民度の低い国では、文化が育たない。しかし、文化が育たない国には、愛も育たない。文化をはぐくむ根幹には、愛がなくてはならない。と、オレは確信している。
 
そんな愛のない世界の片隅で、人に愛を抱くことの大切さと喜びを伝えようする。
 
そんなオレの仕事は、ときに傲慢だろうし、辛辣かもしれないが、そんな孤独なおバカな仕事を積み重ねることでしか、この国は、変わっていかない。