あがきとこだわり
撮影日を決定する。
昨日は午後、スタジオロケハン。秀嶋組作品では、いまや馴染みになっている、井荻のロケセット。
ここにくると、最初の結婚当初、住んでいた下井草のワンルームを思い出す。学生時代から暮らしていた阿佐ヶ谷の四畳半の部屋から、初めて、ユニットバスとはいえ、風呂、トイレ付の部屋に住んだ。
オレたちの時代、地方出身者には、狭くとも、バス、トイレ付の部屋に住めることは、ちょっとした贅沢。六畳の和室と四畳ほどのダイニング。
ママゴトのような新婚生活だったと思う。
幼いころ、男30歳にもなれば、堂々たる大人というイメージがあり、思春期から青年期は、早く30歳の男になりたいとばかり考えていた。だが、いま思うと、本当に幼かったと思う。
自分が結婚生活に向いていないことも、家庭というものには馴染まないことも、そのときは気づいていなかった。いや、気づいていたかもしれないが、背伸びをしていた。若かったからだ。それに、きっと孤独だった。
結婚という形式ではなくても、男女がつながり合えるという世界に無知だったし、それは男の矜持に反するという思いもあった。
きっと必死だったのだ。
親族縁者を巻き込む結婚という面倒なことに立ち向かえたのは、オレの生来の負けん気だ。芝居者、河原者と揶揄されたり、食えない生活をしながら、夢を追っていると非難される、社会活動とは縁のない世界に生きながら、社会活動を生きる人間たちに負けてなるまじという思いが強かった。
社会人として生産活動や企業活動にかかわれば、一歩も引かずに仕事を貫徹できる自信もあった。芝居にかかわりながら、その姿を示そうとあがいていたと思う。
お二人が予測した通り、その数年後、オレは演劇だけの世界でも、CM広告の世界だけでもない、組織に帰属しないで表現にかかわる道を歩み出した。しかも、社会への強いメッセージを常に発信しながら。
あのときから、高校時代、大学時代、そして劇団をやっていたころ、身に付け、学んだ知識を生かす人生を生きようとしていたのかもしれない。
気がつけば、もう2010年10月の終わり。
メッセージをぶつけられる時間はそう長くない。