秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

挑戦の声

人には、その能力をこえて、取り組まなければいけないときがある。能力のありなしではなく、いままでそこまでは…と踏み込まなかったことに挑戦していかなければ、力はつかない。
 
これは、仕事や社会的な活動だけのことではなく、アスリートにも、なにが表現に携わる人間にもいえることではないかと思う。いわゆる、イイ意味での強い緊張だ。
 
劇団を解散し、東宝演劇部に席をおいていた頃、同時に、映像の企画制作会社に入り、突然、企画に調整、制作に現場でのディレクション、映像の編集のほかに、販売促進の印刷物や雑誌広告のデザイン、コピー…それにかかわる営業交渉まで、ひとりでやらされた。
 
次々に、これもあれもと振り込まれながら、無我夢中、必死でこなした。一方で、東宝の企画室の戯曲科からはやいのやいのと台本の催促…
 
劇団を主宰し、上演費用の工面に奔走し、チラシやポスターを制作し、台本を書き、演出をやり、年3回の公演の合間には、劇団のワークショップのほかに、芸能プロダクションの俳優やタレントの演技指導…そして、バイト。こちらも、ギリギリやっていた。
 
しかし、その能力を生業とし出したら、その倍近い激烈な千本ノック状態になった。

だが、そのおかげで、オレはわずか半年で、助監督仕事は終わり、2年ほどで政策室長になっていた。
そして、わずか2年半ほどの間に、CMやオリジナルソフトのヒット商品もつくれる世界に踏み込んでいたのだ。
 
自分の能力をそこまで追い込んでくれた人、そのときの経営者と東宝で鞭撻をうけた、著名演劇評論家のいまはなき、F先生には、だから、深く感謝している。
 
東日本大震災は、東北地域はもちろんのこと、日本人全員にいままでない、緊張を与えた。それを明日につながる緊張に変えるのは容易ではない。だが、あれを経験したからこそ、それまでの能力以上のことに挑戦しなければ…という思いも育ててくれたのではないだろか。
 
Smart City FUKUSHIMA MOVEは、その挑戦の声を集めたものでもある。
 
 
 
写真は、養子に入った家がとまと農家で、義父から栽培を学びながら、また独自の栽培法でそこに付加価値と魅力をつくりだそうとしている、助川農園の助川さん。
 
緊張しやすい男だが、この企画にすぐにのってきてれたやわらかな精神の人だ。
 
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