秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

誇りと勇気と自信

人は簡単に、連携や協働、あるいは提携という。オレ自身も、震災直後から、いまこそ、市民協働の時代を拓くべきだといってきた。
 
だが、その難しさも、容易なさも知っている。
 
事務所を開設してまもない頃、現、宝島社がJICC出版といっていたとき、そこの仕事で、地域コンサルをやらされた。長野県のある地域の観光活性化事業のマスタープランとアクションプランづくり。
 
そこで、地域が一枚岩になることが途轍もなく難しい現実を改めて教えてもらった。総論賛成、各論反対は当たり前。一度、合意したことでも簡単に反故にする。新しい情報があると、いままで積み上げてきた議論はなしにして、それに飛びつく。
 
どこかが行政の支援を受けたときけば、準備も段取りも、計画もないまま、それまでの話し合いとはちぐはぐなことでも、同じことをやろうとする。
 
そして、そこにつきまとう、妬み、やっかみ…。それだけですめばいいが、果ては、協議の場に欠席する、話し合いに加わらないことで、意志表明はしたとばかり、まったく協調もしなければ、意見も述べない。いわゆる無視を決め込む。
 
決め込むだけなら、まだいいが、あれこれ難癖をつけて、今度は合意した内容をつぶしにかかる…
 
無責任といえばそうだし、利己心のかたまりといえば、そうだ。しかし、それが当り前で、それが通用する地域だということもいえる。つまり、時間をかけて、積み上げた理念も議論も、何の意味もない。
 
ただ、やったということだけが大事で、そこで形成された合意も、方向性も、その根本にある理念、コンセプトも、じつはないに等しい。
 
当然ながら、そこであれこれやってもうまくいくはずはなく、それでいながら、うまくいかないと、また、口を揃て、今度はしっかりやるからと知恵を求めてくる…といった状態だ。

こうした閉塞し、その中で、狭い池の蛙のようになっていれば、結果、一番損をしてくのは、そこに生きる人たちだ。つまらない権威や肩書によわく、力に頼れば、なんとかなる…という中央依存のような体質から抜け出せない。
 
それではだめだ。いい加減、自分たちが主役となり、誇りと勇気、自信をもって、なにかに迎合したり、依存しない、自立の道を歩なければ、地域の未来はない。
 
といっているのが、じつは、Smart City FUKUSIMA MOVE
 
 
 
写真は、震災後、自ら農生産者に出向き、いわきの魅力ある野菜や食材をみつけ、それを独自にアレンジして、提供しているフランス料理店Hagiのオーナーシェフ萩さん。隠れた情熱とパワーを秘めた男だ。
 
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