情報の外部化
情報の外部化を人は必要とする。
それは、記憶というものが時間と共に曖昧になるからだが、それ以上に、情報を外部化することで他者と共有し、合意を必要とするからだ。
一人の人間が見てきた事実。それが一人の脳内にとどまっている限り、他者性を持ちえない。つまり、社会的合意も、それによる情報の継承も、情報の普遍性も生れない。
一人の人間が見てきた事実。それが一人の脳内にとどまっている限り、他者性を持ちえない。つまり、社会的合意も、それによる情報の継承も、情報の普遍性も生れない。
それがなければ、あるひとりの人間のひとりよがりであり、思い込であり、共有という価値を失う。
ゆえに、一人の脳内にある事実。ある情報というのは外部化し、他者の脳と共有されなければ、事足りえない。
人はそのために、言葉を生み出し、さらに、それを文字や数字に移す術を生み出した。言葉や文字、数字で伝えきれないものは絵画や彫刻といった造形によって処理してきた。
だが、皮肉なことに、そうやって人が編み出した、情報の外部化による合意形成や普遍性の獲得は、言葉や文字、数字、造形に写し替えるという行為そのものによって、裏切られている。
当然ながら、あるひとつの事実をどのように言葉にし、文字にし、数字にし、造形に替えるかは、そのときの当時者の、あるいは集団の意志によって、コントロール可能だからだ。心情や人を取り巻く情勢によって左右されてしまうからだ。
だが、皮肉なことに、そうやって人が編み出した、情報の外部化による合意形成や普遍性の獲得は、言葉や文字、数字、造形に写し替えるという行為そのものによって、裏切られている。
当然ながら、あるひとつの事実をどのように言葉にし、文字にし、数字にし、造形に替えるかは、そのときの当時者の、あるいは集団の意志によって、コントロール可能だからだ。心情や人を取り巻く情勢によって左右されてしまうからだ。
同時に、記憶が持つ曖昧さによって、記憶をそのままに複写する…ということができない定めを人は生理的、物理的に持っている。人の記憶そのものが不完全性を前提としているからだ。
我々が日々ふれている情報は、実は、それほど頼りないものでしかない。社会生活の維持と適合のために、とりあえず、大方合意できるであろうという意志によって、実は完全ではない情報に一定の信頼を置き、その合意された仮想への上に、社会を、生活を回しているに過ぎないのだ。
それは、歴史の解釈も、現象の記録も、そして、そこにまつわる人の感情も、実はそこにいま生きている人間、そのいまを支配している人間たちによって、塗る替えることができるということを意味している。
古事記、日本書紀の昔からそれは治世者によって当然のように行われてきたし、日本ばかりではなく、世界で当然のように行われてきた。そして、それはいまも行われている。
近代というのは、実は、この人の記憶の持つ危うさと改ざんを市民の合意によって歯止めをかけるという転換点のことである。
それは、歴史の解釈も、現象の記録も、そして、そこにまつわる人の感情も、実はそこにいま生きている人間、そのいまを支配している人間たちによって、塗る替えることができるということを意味している。
古事記、日本書紀の昔からそれは治世者によって当然のように行われてきたし、日本ばかりではなく、世界で当然のように行われてきた。そして、それはいまも行われている。
近代というのは、実は、この人の記憶の持つ危うさと改ざんを市民の合意によって歯止めをかけるという転換点のことである。
だが、この国の近代は政権の乗り換え、朝廷内の権力構造の乗り換えという、近代とは程遠い旧来からの記憶の改ざんで行った。
この明治維新の近代の歪さは、結果的にその後のこの国の常識となっていった。それは戦後日本にも引き継がれ、常に、乗り換えと書き換えを時の権力者、治世者の恣意によって行うということが行われている。
それはこの国が、常に書き換えによって見捨てる民衆を生んでいることの証だ。記憶の改ざんは、何かを切り捨て、犠牲にすることを当然とする中で書き換えられるからだ。
それはこの国が、常に書き換えによって見捨てる民衆を生んでいることの証だ。記憶の改ざんは、何かを切り捨て、犠牲にすることを当然とする中で書き換えられるからだ。
このため、確かな情報はじつは、我々が日々目にしている外部化された情報の中にないという悲劇が起きている。
実は違っていた…。東日本大震災が教えた最大の事実はそれだ。これまで外部化されていた情報。共有され、その枠組みの中にすべての人は組み込まれていると思っていた世界がそうではなかった。
まして、今回の被災した地域は、その始まりである、乗り換えの日本近代によって捨てられた地域なのだ。
オレがいま、東日本に、福島にこだわっている理由のひとつはここにある。
オレがいま、東日本に、福島にこだわっている理由のひとつはここにある。