秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

新しい旗

歴史の中には、歪められてしまうものもあれば、白紙にされてしまう出来事や人というものがある。
 
とりわけ、それが大きな時代の転換点であったり、転換期であったりすると、その後の治世者や権力者によって、対立するもの、新しい治世や権力機構の妨げになるものは、一層歪にしか語られない、伝えられない…ということが起きる。
 
大和朝廷が成立した時期、多くの歴史改ざんや反対勢力の歴史的取り込みがされたことは、古事記研究、日本書紀研究で明らかになっている。しかし、戦時下では、そうした歴史的指摘そのものができないという時代があった。
 
明治維新以後、この国が近代化を進める中で薩長土肥が進める権力集約と中央集権化は、江戸時代までの伝統文化・工芸を全否定し、日本的なるものの多くを価値のないものとして歴史文化の中から消去しようとした。
 
この国の近代化が出発点から完全なる西欧化を目標としたところに、今日に至る日本文化のアデンティティの喪失も起きている。
 
大方、時代の主流というところには、あるべき姿の真実は浮かびあがらない。そして、時代の主流というものは、多くが権益や利権と結びつき、何かの圧力と一体となっているというのが相場だ。
 
当然ながら、圧倒的大衆というものが持つ、無知さが治世者や権力によってうまくコントロールされ、かつ、圧倒的大衆がそれを疑うことをしない…というとき、歴史の闇や白紙のページとされることが起きていく。
 
こうした時代に警鐘を鳴らし、人々にしっかりした時代を読む力、眼力を身につけるために、オピニオンリーダーがおり、知識人がいる。しかし、そうした人々も圧倒的な大衆と圧倒的な権力の前に、本来あるべき社会的使命を貫徹できる人はそう多くない。
 
NHKの「日本人は何を考えて生きてきたのか」は、日本近代によって放逸されていったもの、喪失された思想、埋没された歴史…つまり、日本近代の白紙のページに光を当て、主流に対して果敢な時代的挑戦をした人物を取り上げている。
 
その多くは、英雄視されたわけでもなく、圧倒的大衆に支持されたわけでもなく、まして、今日まで深く語られ続けることの少なかった人物たちだ。そして、彼らが目指したのは、主流といういわる治世者や権力者が描く、日本像ではなく、世界の中の日本像だった。

NHKの担当者が、どうして、いまそうした日本近代が白紙にしてきた思想や人物に焦点を当て、あえて時代の主流ではない、こうした考えに着目しようとしているのか…。それは、世界的にも、そして国内的にも、これまで信じられてきた近代化、大量生産大量消費、自国の狭隘なナショナリズム…といった過去の歴史がつくってきた方程式が反故になっていることを敏感に感じ取っているからだ。
 
政党政治のあり方にせよ、それによって生み出されてきた国家機構や制度、システムせよ。取り込むべき視点、目指すべき方向性が違っていたのではないか…その疑問の中から、かつて白紙とされてきた時代の傍流にあえて目を向けようとしている。
 
これからの時代の軸を市民主義といってもいい視点に立った、その一貫性のあるドキュメンタリー構成は、改めてオレが目指しているものを教えられているような気がしている。
 
オレが市民協働にこだわり、福島にこだわりっている基本にあったものを読み返させられている気がしているのだ。日本近代が白紙にしてきた福島、東北…そこにオレは、いま新しい自由民権運動の旗を立てようとしているのかもしれない。