秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

手当

人の予測や推測、あるいは現状分析というものは当てにならないものになった。

かつては、経済のGDPやGNP目標を立て、それをいついつまでに実現するといった言葉が現実になったし、国政や地域行政の指針を打ち立てれば、ほぼそれに近い形で、マスタープランをアクションプランに置き換えることも可能だった。

マーケッターやプランナー、アナリストといわれる人間が重宝がられ、その予測もほぼ発言通りの近い未来を切り開くという現実感があった。
 
だが、いつもいうように、社会を構成する人々のひとりひとりの欲求が多様になり、流動性も高まると、社会資本の分配がかつてのように画一的で一律であれば、それで済むという時代ではなくなった。みんな同じではなく、細かな対応が必要になる。その途端、これに対応する未来予想図を立てることが困難になっていく。
 
経済においても、バブルの裏にあった不良債権デリバティブによる架空計上といったものが露呈し、それが崩壊していくと、ITという目に見ない、実質経済を支えていない仮想に経済の起爆剤を求め、これが破たんすると、次に不良債権そのものを投資対象とするといった離れ技を使った。不動産を始め、すべて金融商品の多様性によって、金融の破たんを乗り越えようとした末路だ。
 
これが起きたのも、実業を基本とする実質的な経済基盤とその構成がこれまでの方程式とルールでは社会資本を増やすものではなくなったからだ。そして、迷路に入った世界経済のあがきのように、意図して起されたのが、アフガン空爆であり、イラク戦争だ。
 
しかし、それはかえって、世界経済の混乱に拍車をかけた。不安定要素が地球を覆っていて経済の力強い歩みなどあるわけがない。あるのは、一部の富裕層の投資の見返りを生んだだけに過ぎない。

以来、世界も、国も、社会も、地域も、そして家庭も、未来予想というものの信頼を喪失している。

今朝、中曽根元首相と渡辺恒雄読売会長の対談をやっていた。9条の改正などすぐに難しいことも、単に足きりのように社会福祉を勝者の理屈で変えてしまえばいいなどと、この二人は考えていない。

オレにとっては、いろいろと同調できないことの多い二人だが、バランスという点をしっかり見据えて、話に落ちこぼしながない。批判や対立では、いまの時代、未来予想など、絵に描いた餅だということを85歳以上の二人が知っていて、いまの60代、50代、40代が知らない。

手当…という言葉なくなる社会は、渡恒がいうように、愛国心など育つ国にはならない。手当こそ、未来予想を信じる一歩なのだ。