秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

実現の意欲

アメリカ大統領選挙は大方の予想通り、オバマ圧勝で終わった。4年間の景気対策は議会のねじれもあって、思い切った施策が実行できなかった。
 
その不満は浮動票の中に潜んでいたが、結局、終盤、4年前、オバマを支持した中間層と低所得者層、政治的にはマイノリティな黒人系やヒスパニック系、そして、学生層がオバマに回った。
 
自由競争主義と大企業保護による景気対策を主眼とする、これまでの保守主義リベラリズム)への回帰よりも、まだ、オバマの政策の方がまし…といった選択をアメリカはしたことになる。
 
いいかえれば、それほどに、おバカブッシュがやったネオコンによる自由競争という名の野放図な市場原理主義社会やアフガン空爆イラク戦争とその後の傷がアメリカにとって深いということだ。世界秩序を守るという見せかけとでっちあげの正義の裏に、オイルマネー軍需産業の大資本が暗躍していた事実は白日になっている。
 
そこに戻ることはしたくない。それが選択の大きな基準。この流れは、社会民主主義が大半のEUにとっても受け入れやすいものだろうし、アメリカとの互恵関係を進めたい中国にもとっても都合がよかったはずだ。ネオコン回帰では、EU、とりわけ、フランス、ドイツも、そして、中国も対立の構図が生まれ、身構えなくてはいけなくなる。

一方、この国では、相変わらず、互いの言葉の揚げ足とりや第三極とか、わけのわからない連合、野合の結集が模索されている。既成政党も問題だが、それを批判して別の集団をつくろうとしている連中たちも、結局は元既成政党所属議員や出身者が大半。人々が期待する市民政党などではない。
 
政治家の言葉や政治を目指す人の言葉が、いまほど、市民や生活者に届かない時代はないかもしれない。

アメリカ大統領選でも、結局、行き場のない市民、国民の声は拾い上げられることはなかった。既存の支持母体の強化の力技で最後は押し切っている。政党政治そのものがどこかで限界を露呈し、軋みや歪みが生まれている。その中で、組織されない人々の声や願いや思いは、相変わらず捨て置かれたままだ。

いつもいうように、道州制ではなく、市町村連合のような形で生活者が直接自分たちの自治権を確保し、予算の執行と責任を担うようなしくみが生まれてこなければ、市民の自立も育たなけば、地域共同体の新しい姿も生み出すことはできない。

統制や統合、中央集中は、道州制においてもきっと起きる。骨組みと土台の基本を市町村におき、これまでのような隣接する地域行政の連携などといった中央集権的発想から自由になることが何よりも必要な時代がきている。物流と生産消費を通じて、あるいは、歴史的文化的連関性を通じて、いろいろな市町村連合の道はあるのだ。

それは、国内にとどまることはない。資源の輸出入、生産物や加工品の輸出入で海外と市町村単位で結びつくことはできる。観光連携でもあるだろう。国境や行政区画から自由になれば、21世紀中盤以後の地域と社会、そして世界の姿がおのずと見えてくる。

いま捨てられているもの。それを拾い上げ、政治や自治への期待と夢を創造するのは、そうした発想と実現の意欲だ。