秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

未来を見た男

「政治は出来るだけ地方分権でなくてはならぬ。出来るだけその地方地方の要求に応じ得るものでなくてはならぬ…(略)…ここに勢い、これまでの官僚的政治につきものの中央集権、画一主義、官僚万能主義というが如き行政制度は、根本改革の必要に迫らざるを得ない」(石橋湛山評論集 中央集権から分権主義へ 大正13年「社説」)
 
このところ、時間の合間を縫って、石橋湛山を読み直している。改めて、その未来への洞察力の鋭さに感服している。
 
地方自治体の中核を成すものは市町村だ。地方自治が、事実において今後ますます発達する望みもあり、また強いてもこれを発達せしむ価値があるも、実に市町村においてである。(略)府県知事およびその下の内務部長警察部長等は、政府の辞令一本にその命を繋ぐ輩だから、偏(ひとえ)に中央の御覚えめできた事は希(ねが)えども、腰を落ちつけて、地方民と共に、この地方のために働くの親切も、意気もない。面してこれがまた今日地方自治が振るわず、その産業の起らざる大原因だ」

湛山は、すでに中学校時代に日露戦争に対する反戦論を仲間に語り、その後は自由民権運動の市民主義を貫き、大正デモクラシーでは理論的中心を担った。東洋経済新報社のジャーナリストとして、プラグマティズムエコノミストとして、戦時体制へ向う日本を一貫して批判した。そして、その論調の驚くべきことは、敗戦後の日本国憲法を始め、道州制導入など、いまの政治、経済状況にも通じる、多くの示唆的な評論を大正、昭和の戦前に発表し、提言していることだ。
 
明らかに湛山の時間は、その時代を越え、いまの日本・世界の姿を予見しているとしか思えない。こうした人物が在任は一瞬といえども、戦後日本の首相にまでなったということも、また同時に当時の政党政治の力を感じさせる。
 
「地方の財源は、挙げてこれらを市町に与う。ここにおいて初めて我が地方自治体は、新たなる力を得て活躍し、ここにまた国家全体の政治・教育・産業の改造を庶幾し得る基礎が出来る」
 
湛山は未来(戦後の日本と世界、震災後の日本と世界)を実際に観たことがあるのではないか…。最近、そう思い始めている。それほど、いまでこそ伝わる記述が多過ぎる。
 
ある人がいった。市町村にせよ、都道府県にせよ、そこで働く公務員には、制度変更や制度を刷新し、市町村民や都道府県民のために新しいアイディアやプランを生み出し、それを制度に取り込んでいく力がない。一方、市町村民や都道府県民は、行政の予算頼り、助成金頼りが蔓延していて、自助自立の意欲や自律の意志が足りな過ぎる…だから、国の権限移譲といっても、やすやすと移譲できない事情もあるのだ。
 
批判するのは簡単だ。そして、事実、現状はその人が指摘する通りかもしれない。だが、そういう地方行政、地域をつくってきたのは、明治維新以後の中央集権体制であり、戦後もそれを引き継いだ総務省行政や縦割り行政の中央集権政治だ。そこにあるのは、民は愚かだという大前提だった。
 
だが、湛山は予算を移譲することによって、地域の自立・自助・自律の教育は進むと断言している。また、市町村連合をつくることで、地域による政治・行政のリテラシーの高低を補完し合うようになるとも言い切っている。自分たちの地域を自分たちの手でつくりあげる。その動機づけは多くのものを変えていく力になる。その信頼と自信が湛山にはあった。
 
だからこそ、いまにも通じるアイディアとプランが提言できた。政党同士、政治家同士が互いの政争批判を繰り返し、マスコミが身勝手な正義を盾に政治を批判する…批判の応酬の中に、次に続く確かな未来提言はない。あったとしても、戦前主義かと思わせる懐古主義だったりする。
 
湛山をリベラリストと古い資料は呼ぶ。湛山はあの時代、すでにリベラリストを越え、市民社会時代の世界とそこにあるべき日本の姿を予見し、生きようとしていた。歴史には、未来を見てしまった人間がときとして、現れる。その警鐘と提言を忘れてはならない。
 
おそらく、未来を見てしまった男は、提言をしなくては立ちいかない、世界、そして日本の姿もきっと同時に見てしまっているからだ。