秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

そのとき歴史が動いた

時代の変化というのは劇的な場合もあれば、そうではないケースも少なくない。いや、じつは劇的であることの方が少ないといっていい。

ベルリンの壁がこわれたときも、昨年のジャスミン革命も、結果から見ると、鋭く劇場的であるかのように見える。が、しかし。実は、その兆候とエネルギーは、地下水脈のようにゆるやかに、しかし、確かに始まり、醸成していたのだ。
 
ソ連の書記長だったゴルバチョフは、ベルリンの壁崩壊を早くから予見していたことでも知られている。
 
いままで同じ風景としか思えなかったもの、思われなかったものがいままでと違う風景になる瞬間がある。人々は、それを「そのとき、歴史が動いた」という。
 
だが、その前から、いままでと同じ風景が同じ風景にみえない、ならない状況は生まれ、そして、つくられていたのだ。時代というのは、ことほどさように、ある日突然に変わるのではない。

それを読み解くカギは、人心。あるいは、総意といってもいい。だが、それは支持基盤を持つ政党やその支持者たちの動向といったものではない。選挙といったシステムではとらえきれない人心の動きがある。制度を本質的に変えていくのは、実はそした力であり、総意なのだ。

当然ながら、そうした市民の総意によって社会制度やしくみをこの国の人々は変えた歴史がない。常に外圧によって、変わるか、変えられてきた。そして、そう遠くない時期、内部変革ではない力によって、この国は変わらざる得なくなるだろう。

そのことに敏感な人は、じつに少ない。だが、制度疲労があちこちに露呈しているいま、感覚の鋭敏な人たちは、それに気づいているはずだ。維新とかいった古色蒼然とした着眼や人気に依存した80歳を過ぎたあとのない政治家に頼るような脆弱さでは対応できない変化がこの国に迫っている。
 
オバマが4年間、アメリカという凋落を迎えつつある超大国のリーダーに選任され、中国では、向こう5年を担う、新しい書記長、習近平が選出される。いずれの国も格差という生活課題を多くの人々が抱え、若年層の雇用不安という現実に直面している。その精鋭的になりつつある市民の欲求は、日本ではそれほど報道されていないが、政権を慌てさせるほどに、醸成されている。
 
共産党大会で胡錦濤が今後の課題に内陸部や地方を中心とした経済格差を取り上げたのは、異例中の異例。それに言及しなくてはいられないほど、国内の不安定化は実は進んでいる。
 
確かに、未来予想図はだれにも描けない。しかし、明らかにこれまでとは違う情勢が時代にくさびを打ち込み出したのは確かなことなのだ。その音は、いままで遠く薄かったかもしれない。しかし、これから、それははっきりとした響きを打ち出すようになるだろう。

そのとき、突き付けられる今まで以上に困難で、新しい時代的課題に、堪えられるだけの政治の醸成がこの国のどこにもない。頼れるのは、ただただ、地域共同体の力と官僚機構だけというのが揺るがない現実だ。皮肉なことに、それはすべて、この国の政治家たちが駆逐しようとしてきたものだ。