秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

未来へ残すメッセージ

人々が政治不信に陥り、政党政治が力をなくし、失速すると必ずそこには、きわめて歪で、偏ったナショナリズムが台頭する。
 
理由はいろいろあるが、基本にあるのは大衆の不安要因だ。しっかりした方針や基軸を自らは持たず、ゆえに、他者、つまりは政治家や政党、マスコミ情報にのみ過大に依存してきた人々は、それらが失われる、あるいは、脆弱になると、当然ながら極度の不安と不満に襲われる。
 
人々の間に増大した不安、不満は、本来、依存性が強い分、強力なリーダーシップを持つ人間や団体への待望論に変わる。そして、議論を積み重ねるという面倒さよりも、自分ではできないがゆえに、だれかが即断速攻で物事を進めることに快感を求める。そこに当時者意識が欠落し、熟慮、配慮、思慮分別が失われる。
 
内閣が組めないために、再選挙をやるギリシャの政治制度を観て、多くの日本人が「なにやってるんだ、これだけ負債をっかかえてるのに、てめぇ勝手だな…」と怒っている。確かに、日本人から見たらそう見える。だが、ドイツもフランスも、その他のヨーロッパ諸国も、それについて、また、まとまらなかったのか…と頭をかかえつつ、ギリシャの政治制度そのものにケチはつけない。
 
それは、どういう手間暇はあるにせよ、政治は、国民的合意を優先しなくてはいけないという近代政治の枠組みを理解できているからだ。そのために、生まれる不条理さは引き受けていくしかない…それがヨーロッパ近代が培ってきた市民社会のあり方。
 
それぞれが自らの問題と考えるがゆえに多様な意見が乱立する。その多様性が成立できないのなら、EUからの脱退も考えざるえない…というのは、ギリシャ市民社会を考えれば、決して、不遜なことでも、不思議なことでもない。
 
ことほどさように、まともな近代国家であれば、他者に依存せず、市民自身が立ち上がり、様々な政治課題、ついては自分たちの生活課題にたいして、権利主張を述べ、かくあるべきと運動を起こす。場合によっては、市民政党を結成して、政治になぐりこみをかける。
 
しかし、そうした訓練や歴史を生きていない人、教育のない人々は、容易にポピュリズムに流される。ポピュリズムとは知名度や人気度を拠り所として、多数決の原理を逆手にとる政治手法をいう。
 
逆にいえば、不安要因を増大させ、人々をポピュリズムへと誘導する…という人々が不安と不満の時代には台頭してくる。
 
ブッシュ政権を支えていたネオコンの連中は、軍需や化石燃料によって肥え太った資本家たち。当然ながら、自分たちの利益の確保を目指せば、不安をあおり、軍需や石油による景気浮揚を考える。つまり、大衆不安をつくり、そこに付け入り、利権をむさぼり、狂信的なナショナリズムを煽る。
 
それは極めて排他的であり、閉鎖的であり、自由度を狭窄する。アフガン空爆にせよ、イラク戦争にせよ。それがブッシュ政権の恣意性によって生み出されたものだということは国際社会において自明のことになっている。アメリカの現在の凋落の決定的動因にもなっている。激しいナショナリズムが煽られ、多国間との軋轢を生めば、現在の国際社会では、決定的に経済に影響する。
 
それをどう回避しつつ、経済を立て直すかに、いま世界は動いている。すべての安全保障の根幹にあるのは、軍事ではなく、経済なのだ。だからこそ、そこには、バランスが必要になる。バランスを生み出すための視野と冷静さがいる。

今回の内閣改造で、いくら防衛大学卒で、自民党政権時代に防衛省とかかわったとはいえ、民間人、しかもいま現場に関与しておらず、ネオコンの急進的な学者が防衛省のトップに就くという大事件が起きた。政治家ではない、一民間人が国の防衛の最前線に立つ
…。否定してるが、これは明かにシビリアンコントロールを無視した人事だ。
 
かつて、小泉政権時代、竹中というアホ学者を経済政策の要としたことで、この国の地方経済は破綻し、今日、一層増大する格差を促進させた。
 
政治家、政党政治が弱くなるということは、こうしたことが随所に登場してくる。そして、なしくずしに、社会全体から批評性が失われ、相対化した視座が失われていく。
相対化こそ、バランスと冷静さの根拠となるからだ。
 
いつも人々がポピュリズムの危険性や当事者意識を投げ出したことによって破綻した結果が見えてくるのは、生活のすべてを失ったときしかない。100年後の未来へ残すメッセージをこの国は失い始めている。