秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

国とは何か…

日本の戦後政治家の中で、地域主義をいったのは、石橋湛山が最初だった。石橋は、都道府県を基礎とした地域主義ではなく、市町村連合を基本とした中央集権の打破を提唱した。
 
戦後間もない頃、しかも、内務省など戦前の中央行政システムがほぼそのまま継承されようとしている時代に、なぜ、野党でもない、政権政党の一翼を担う、湛山だけがそうした主張ができたのか。まして、広域行政の独立自治ではなく、市町村の独立自治を提唱できたのか。

それは湛山が自由民権運動の擁護者であったことと無縁ではない。同時に、実証主義経済学の学習を通じて、先進国優先の市場経済主義の先にある、国境なき市民経済時代の到来を予見し、その時代に求められる政治経済、世界の未来像、70年後のいまを予測していたからだ。

そして同時に、戦前戦中を通じ、この国の中央政府や軍部の行政執行能力、軍政体制を支えいたのが、中央ではなく、地域共同体の力であったことをよく知っていたからだろう。

人は、よく国政を語る。国の経済や行く末を語る。だが、その国とはいったい何を指して国といっているのか。そもそも、国とは一体何なのか…その当り前ともいえる問いのないまま、人々は国政を語り、国の行く末を言う。

EUを始め、世界に広がる相互経済協定やブロック経済を見れば、国という概念がいま大きく変わっていることがわかる。情報伝達のしくみやその高度化を検証すれば、国境というものの規定がいまいかに脆弱で、曖昧なものかがわかる。

国という概念がひとつの幻想とさえなりつつある。それを捨象すれば、残るのは国らしきものを形成し、支えている「地域」でしかない。それも広域行政における地域ではなく、市町村、あるいはそれ以下のレベルの地域でしかない。
 
もっといえば、そこに生活する生活者一人ひとりの日々の暮らし。それが国という概念と姿を支える原点であり、最初であり、力なのだ。
 
だから、それぞれの生活者が抱く国なる概念はあいまいにならざるえない。それぞれの生活者によって、求める国のあり方やあるべきと思っている国の姿が一応ではないからだ。
 
それを強引に統合しようとしてきたのが、中央集権国家であり、あるいは天皇制だった。だが、長く日本人のethosであり、ゆえに、人々の生理にまで落ちる、天皇制=天皇教と違い、中央集権制度やそれが生む国家観には限界点がある。

戦後日本はその代替えをアメリカに求めることで、からくも、終わったはずの中央集権主義を維持してきたに過ぎない。政治制度のしくみも経済のしくみも、国のシステムも、そして政党も、そこから一歩も出ず、出ることができないゆえに、終ってしまった経済大国の夢にすがり続けている。

地域を強くすれば国という概念が必要とされなくなる。中央という概念が意味不明となる。そのことを既存システムのすべてがよく知り、そして恐れている。そして、この国の場合、それをもっとも恐れるのはアメリカだ。それはアメリカが日本の地域共同体の力のこわさをかつての戦争を通じて、その後の高度成長と成熟化によって、一番よく知るからにほからならない。

この国の地域主義は、いつも阻まれてきた。その大半はアメリカ。そして、そこにぶらさがることで権益と支配の構図を維持してきた政治家や財界人たちだ。

だが、自由民権運動が弾圧の中で残した遺産、常に人々の中にある地域主義、地域の自主自立、自由自治の欲求は、もはや一国の問題ではなく、世界においても同じように、抑止できない時代に差し掛かっている。