秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

何かが伝わっている

子どもには伝えるべきことがたくさんある。しかし、大方、親というものはその多くを伝えきれないものだ。
 
話として、父親や母親の幼少から青春期のことを聞いても、それを想像力でおぎなうには、生活の質も形体も、そして、生活空間の色彩も大きくかわり過ぎている。また、仮に記録写真や映画の再現の世界で疑似的に、ある程度追体験してみても、そこにあった、においや質感というのはよみがえりようもない。
 
まして、いつもいうように、人の脳は過去のデータを正確には再生しない。あくまで自分の都合のいいように歪曲した形でしか、過去のデータは記憶化されない。だから、親が語る幼少期や青年期、成人してからいままでの自分の歴史は、そして描く未来は、親が思うほど、正しくもなく、そして、美しくもないのだ。
 
だが、それでも、子どもには伝えるべきことがある。それは、子どもに歪曲した自分のデータを伝えることでもなく、美しくもない現実を美しいものとして伝えることでもなく、また、こういう生き方や考え方が絶対なのだと伝えることもでない。
 
生れてきた時代、そこに現れた若い奴らがかかえてる課題を大人が自分たちの経験や時代感と平準化して比較し、だから、あれが違う、あれが間違っている、あれをしてはならない…などと伝えることに何の意味もない。
 
オレたちの時代の大変さとは違う大変さが彼らにはある。いや、右肩上がりの時代を生きてきて、いまになっていろいろな戸惑いや新たな壁にぶつかっているオレたちより、より多くの困難や壁や試練が彼らにはある。その中で、自分たちなりの世代の生き方をみつけ、オレたち世代ができなかった、あらたなビジョンと生き方の姿をつくりあげていけばいいのだ。
 
だが、そのために、伝えるべきことが親にはある。その彼らの未来のために語り継いでおかなければいけないことがある。
 
昨夜は、そんな思いをこめて、久々に息子と二人で飲んだ。「かあさんだけは大事にしろ。嫁をもらうなら、かあさんと話の合う女性にしろ」。ふと、息子がいった。「おやじもだけど…かあさんも…二人とも長生きするとは思ってないよ。二人とも、そういう生き方をしてるからさ」。息子には、ちゃんと何かが伝わっている。