秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ノーデジタル世代

オレたちの世代前後は、ワープロに始まり、パソコン、携帯というIT端末がこの世に登場してきた時代に仕事の渦中にいた。いわゆる、ノーデジタル世代。生れながら、あるいは幼少の頃からIT環境に包まれて生きてきた世代ではない。
 
いま息子が就活中だが、その姿を遠くで見ていると、奴らがまさにデジタル世代であることを痛感する。
 
PCで就活のエントリーをしたり、カメラの前に座り、自己アピール映像を希望する会社に転送して面接可が決まったり、相手先企業からの連絡をPDFで受け取ったり…という姿を見ていると、コミュニケーション能力、英語力はもちろんのことだが、ITの活用力もないと大手の会社に就職するのはままらない時代になっている。
 
つまり、コミュニケーション弱者、語学力弱者、IT弱者は、その段階で、将来の活動範囲が限定されてしまうということだ。当然ながら、一部企業を除き、指定校制をとっているところもあるから、そこには学歴という前提条件も付く場合がある。
 
よく考えると、高校受験、大学受験のために、多くの時間を費やしている人間と比べて、小学受験や中学受験で苦労しても、エスカレーター式の私立名門校に進めば、過度の受験勉強をしなくていい分、コミュニケーション能力、ITの活用力、語学力を磨く上では有利だ。
 
まして、いま問題にもなっているが、大学の3年後期から就活が始まる。高校までに一定の素地がつくられいないと大学に入学して3年程度でそれらの能力を身につけるのは容易ではない。
 
しかし、そこにはパブリックスクールに通う以上のコストがかかる。つまりは、親の収入がそれら能力を身につけられるか、つけらないかを左右する。これは格差が問題になってから、本人の学歴や職種が親の収入に左右されるという統計データが出て、物議をかもした問題でもある。スタートラインから、格差が始まっている。
 
息子の姿を見て、ある医療データ解析の会社をやっている中国人の友人の言葉を思い出した。
 
名門上海復建大学在学中に国の特別選抜奨学生に選ばれ、東大の大学院に進み、在学中から事業をお越し、いまでは世界にブランチを持つ中堅企業の社長だ。東大の大学院生の頃、出会い、当時はオレがメシをごちそうしていたが、いまでは奴に会おうとしても、管理部門なの、秘書などが途中に入り、簡単に会えないw
 
だいぶ前、奴と話をしていると、就職する学生で欲しいのは、慶應、とくに経済学部、次が東京理科大。医療データの解析を業務としているから、東京理科大はわかるが、慶應というのはどうしてだ? と聴くと、奴は笑いながらいった。
 
「幼稚舎から慶應にいってる奴は受験があってもないようなものでしょう。だから、あいつら子どもの頃からゲームはもちろん、パソコンで遊ぶ時間がたっぷりあるんですよ。だから、IT能力はすごく高い。つまり、オタク。それでいて、一般教養もある。うちのような会社は一番理想的なんですよ」。
 
そして奴は、こうも続けた。「東工大は優秀だけど、現場にずっといない。ある程度育てても、優秀な分、転職していきますよw」
 
オレは聞いた。「じゃ、早稲田はどうなんだ?」。間髪入れず答えがかえってきた。「早稲田は雑学の早稲田じゃないですか。うちの会社にはいりません。使いようがないw」。なるほど…w
 
奴がいいたいのはこうだ。つまり、有名大学だからそれで就職ができるという時代は終わっているということだ。企業それぞれ、欲しい能力がある。しかし、ある程度の素養と教養さえあれば、学生時代にIT能力を備えている奴の方が採用できる…ということだ。
 
オレは仕事柄、幸いにして、ノーデジタル世代ながら、ITの活用をいやいやながらでも身につけざるえなかった。撮影、編集、MAといった作業はデジタル化の進展と不可分だからだ。ムービングにみられるように、舞台も照明、装置といった舞台上の演出に関わる部分はデジタル化が定着している。
 
進展するたびに、新しい情報と新しい機器を使いこなせなくては仕事ができなかった。同時に、超零細の規模で、ある程度大きい仕事をこなしていくためには、ITが不足している規模を補うことができる。
 
意図しているわけではないが、うちのOA機器会社の若い連中や編集、MAのスタッフたちと話をしていて、オレがちっとも苦にならないばかりか、興味津々なのはそんな環境があったから。
 
そのせいというわけではないが、デジタルVSアナログという二極対立で、いまのデジタル社会を裁断する意見には賛成できない。いや、できないというより、現実が見えていない。
 
要はツールとしての使い方、生かし方。ただ、デジタルである方がこれまでアナログでできていなかった、手の届かなかったことを可能にする力ははるかに大きい。組み立て、思考する人間の姿勢と未来の見据え方で、デジタルは人の息吹を吹き込むこともできる。