秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

Tough Choice

世界の政財界のリーダーが結集し、世界の現実的な課題から未来へ向けた指針を議論し合うダボス会議その主要討論会とダボスでNHKが企画主催したディベートの内容が昨夜、BSNHKで放映されていた。
 
オーストラリア、タイ、日本など世界各地で起きる天災と天災にはつきものの人災。それによる経済的な損害と停滞。再生へ向けた方針のバラつき。一貫性があるようで、一貫性にも、斬新さにも乏しい施策といった課題にリーダーはどう対応していくのか。
 
とりわけ、震災による原発事故と安全神話の崩壊、経済回復の壁やEU諸国を襲う経済規律の緩いギリシャポルトガル、スペイン、イタリアといった国々の経済的破綻が世界経済の未来に与える影響とそれを乗り越える指標についての議論だ。
 
日本経団連などが原発利権と癒着の構造のままに、政党、政治家、官庁、官僚を巻きこみ原発推進を続けようとしている。原発事故の検証も実に中途半端であいまい。原発を続けるにせよ、しないにせよ。今回の事故と原発の危険性についての冷静で客観的な検証がまったくされていない。
 
これに反して、ダボス会議の中では、ギリシャを発端とする経済危機の大要因のひとつに巨大銀行の功罪を挙げた。「銀行は競争社会の中で当然の経済活動をしているだけで、その収益に見合った役員報酬をえいてるだけだ。決してそれが法外なものではない」と銀行側の反論に、激烈に怒ったのはドイツ首相だった。
 
「あなたがたの窮地を救済しているのは公的資金、つまりは、国民の税金なのだ! あなたがたが運用しているのは国民のお金なのだ! その状態で法外な役員報酬を当然とできる理屈があるとでもおもっているのか!」

つまりは、企業としての社会的責任の自覚とだれのための企業であり、何のための大企業なのか…という基本的な議論だ。この議論、バブルが破たんした日本では、まったくといいほど、指摘もされなかったし、議論もされなかった。

これひとつだけだけではないが、世界における当然の企業倫理、コンプライアンスが日本では名前ばかり、形ばかりでまったく現実化していない。罰則も刑事告訴もない。
 
いや、EUやアメリカでも企業経営側にそのしっかりした認識があるとは言い切れない。しかし、おバカをいう経営陣や巨大であることで権益を独り占めにできる企業社会については、政治がきちんと批判をし、こうした世界的な会議の場でその悪しき弊害をあからさまにする。

確かに、政治は金と結びつく。政財界はどこかで一枚岩といっていいだろう。だからこそ、こうした議論が必要なのだということをEUの政財界の人間は知っている。
 
どう見積もっても化石エネルギーの枯渇や水資源の不足はすぐにやってくる。世界に広がる格差はアフリカ、中東の動向を見ても限界にきている。利権や強権で抑えこめるほど、もはや緩やかではない。世界の若い世代が雇用を失っている現実を見ても明らかだ。
 
そうした課題をこれまでのようにおらが企業、おらが地域、おらが国だけよければいいで解決できるわけがない。これまでとは違う発想と指針を持つことでしか、打破できないとなれば、再生可能エネルギー、雇用促進と富の分配のあり方、そのものを変えていくしかないのだ…ということに彼らは気付いている。
 
資本主義の限界…オレがいつも言う言葉だが、それがもう世界に訪れている。正確にいえば、リベラリズムの限界だ。競争原理、市場優先主義といった古い資本主義からの脱皮なくして、現在の危機を乗り越えられない。世界ではそれがすでに常識になっている。
 
しかし、制度変更、資本主義(リベラリズム)からの脱却は、おらが利益を考える人間には、なかなか選択できない。選択できなければ、利権と金を抱いたまま地球の崩壊の現場を体験するだけだ。そのとき、獲得した利権や金は、アフリカの民衆革命と同じように、ズタズタにされるだろう。
 
Tough Choice…難しいことのようだが、世界や地球の未来を地球市民のためにどうあるべきかを考え、古びた指導原理や人権無視のリベラリズムから自由になることで簡単に実現できる。だが、それができるタフな奴がいない。

タフ・チョイスは、自由であること、それにつきる。