秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

Form is Content, Content is Form

第三次補正の予算取りで、市町村行政が四苦八苦している。
 
例によって、予算申請の項目条項を設けてしまっているものだから、被災地の実状に合わせて申請するのに、「この名目なら申請が通るか、通らないか」に知恵を絞らなければならない状態。
 
確かに、補正予算というのは、使途に条件がないと補正とはいわない。ランダムになんでもござれ…では、追加補正の意味をなさない…というのはわかる。市町村側も、これまで条件項目を満たす形での申請経験しかないから、それを臨機応変に調整するという知恵も働かない。
 
つまりは、国政においても、末端の市町村行政においても、これまでの前例主義など通じない被災を受け、日本経済全体が大きなダメージを受けていながら、その前例主義から抜け出せないまま、つまり、終わってしまっている建前を建前として守りながら、「いやいや、それは裁量でいかようにも…」などということをやっている。
 
物によって、省庁から直接市町村に予算をつけられるものもあるが、多くは県を通じての申請。この中央主権主義が、散々復興予算、復興事業を遅滞させている。この期に及んで、いまだ震災前のこの国のシステムの中で、すべてをやろうとしている。
融通性はあるのだ…という、これも建前の中で。

いわゆる行政の文言や行政書類の形式にかなっているかどうかが重要で、あとは、裏読みしてくれといった状態。いわゆる、あうんの呼吸でよろしく…みたいなことをやっているのだ。なんてことをやっている間に、来年の本予算申請の枠組みづくりの時間が迫る。

全国市町村長会、全国知事会を臨時招集して、1週間かけてもいいから、徹底議論をし、市町村が抱えている実状をぶちまけ、県の既得権によって左右されている諸問題を選別し、まとめ役をや与野党の代表者、官僚トップで買って出る…ということはできないのか。
 
しかも、これを公開にして、インターネット放送などといわず、BSでもいいから、NHKで流し続ける。予算をつけてくれ…だけではなく、これは市町村に任せてくれ、これは市町村に力を貸してくれ、これは互いに連携して処理しよう、それ以外は国政でやってくれ。国政はそれに対して、現実的に、ここまでできて、ここはできない。
 
そうした連携と線引きと協働のイメージをすべての行政、すべての国民に定着させる。「これが、オレたち、私たちの国の、いつわらざる現実なのだ」。それくらいのことをやらないと、震災後のこの国を立て直す道はない。知恵が浮かばない。

Form is Content, Content is Form.  
 
政治とは直接、縁のない、ノーベル文学賞を受賞した作家の言葉だ。意訳すれば、形式を変えなけば内容は変わらない。内容は形式によって決定される。

この言葉は、社会システムの大展開が必要…いま、そういっているようにオレには聞こえる。