秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

やめるのも進むのも最後は自分

夜、久々に女優のYが来る。

数カ月前、自分の力のなさに悔し涙にくれていた。Yの負けん気な性格、そして、自分ひとりですべてを抱え込む気質。それでいながら、周囲の声援や応援に早く答えなくては…という真摯さ。
 
連絡のない間、自信を持ってオレに示せる何かと出会いたい…そう決意していたに違いない。と読んで、オレからもあえて連絡はしていなかった。
 
仕事もそれなりにこなし、声優の仕事のオファーが来たが、どうも声優事務所と所属事務所間の面倒な事態に巻き込まれてしまっている。その狭間で自信もなくしていた。
 
まだ今年20歳になるYは、13歳のときから親元を離れてこの業界の波をひとり生きてきた。その分、勝気だし、負けん気も強い。甘えてはいけない…それだけでこの7年走ってきたのだろう。
 
それでも…人には、筋や理屈ではなく、泣いて語りたいことがある。泣いて語って、ぶつけて、受け止めてもらいたい思いがある。受け止めてもらいたいが、甘えてはいけない、もっと何かを見せられるようになってから…と、だが、自分で抱えてしまう。自分のことは自分でやらなくてはという勝気さがそうさせる。

最初から人に甘えるのはいかがなものかとは思う。しかし、人ひとりの力ではどうしようもないこともあれば、自分で何でもやろうという意地という殻を破って何かに飛び込む…ということも必要。
 
がむしゃらさが足りない。そういって奴を諭したのは、その思いがあってのこと。もっと必死になれといったのではないが、そうしたことをやらなければ、自分を閉じさせている意地にも気づけないと思っていたからだ。自分へのプライドや負けん気、意地、見栄や体裁…それが、裸になって役や人に飛び込む…という素直さを阻むこともがある。
 
本物の女優になりたいなら、その道を選ぶしかない。それが役者という仕事だと思う。それができないで、アイドルノリのままタレントまがいの俳優をやっている連中もいるが、いい作品へのオファーはそうした役者にはない。
 
それを続けるかどうかは本人次第。役者も、監督も、脚本家も、小説家も…だれか、人が決めて進む道ではない。自分が決めて進むのだ。やめるのも、進むのも、最後は自分。続けられないと思う…ということは、力がなかった証。力のある奴は、どういう形にせよ、表現の場に踏みとどまれる。
 
もし、進むのであれば、奴には、声優であれ、役者であれ、地に足のついた道を時間をかけても歩いて欲しいと思う。
 
…とサルバトーレで軽くワインを飲み、事務所にもどると、このところの支援取材活動の疲れがどっと出てタウン。夕方近くに外に出ようとして、お気に入りのブルーのヤッケをどこかに忘れている。
 
無我夢中で、必死になって、何かが見えていないのは、オレもか…やばい(笑)