秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

石巻取材プロジェクト -笑顔の意味を知れ-

MOVEの仲間で、飲み友達のKと今回は石巻へ向かう。

平日の金曜日一日の日帰り強行軍。2週間前から現地に入っている友人のYさんの滞在が土曜日で終わる。それを計算しての取材プロジェクト。

幸い、新幹線が開通しているので、仙台まで「はやて」で2時間弱。そこでレンタカーを借りて、まだ鉄道が貫通していない石巻へ。有料道をつかえば、1時間強だと聞いていたが、海岸線の状況を見ることも考えて一般道をゆく。
 
福島の中通りなどと違い、内陸は震災の傷はあるにはあるが、いわきや須賀川、白河ほどひどくはない。しかし、海岸線に近い田園地帯、松島、東松島と過ぎていくうちに、津波の猛威が内陸まで迫っていた痕跡がいたるところに見える。田圃、畑の塩害は実に広大。一面がやられていた。
 
石巻の中心地、海岸線近くにくると、街中でも営業をやっていない店が目立つようになる。浸水の影響。
 
Yさんと合流し、簡単に周辺情報を聴いてから、地域に在住し、被害に遭った方々の話を伺う。身近な方をなくされた方がいかに多いことか…。そして、まだ遺体のみつからない方がいかに多いことか…。震災当時、そして、その後の生活は、テレビで報道されたり、取材されている以上の痛烈さと、悲しみにあふれている…。

笑顔の報道や取材は多い。あるいは、必要以上に悲しみやつらさを演出する報道も。しかし、いわきで感じたように、ここでも、人々にある笑顔は、そんな薄っぺらなものから生まれている笑顔ではない。笑顔、ひとつひとつに、語りきれぬ思い。斬鬼や悔恨、無念の傷としわが重く、深く、刻まれている…。
 
お話を伺ってから、Yさんと別れ、石巻漁港など海岸へ向かう。異臭が激しく鼻を突く。粉じんと瓦礫の山…。まだまだ復興の兆しが見える状態にはない。数日間に戦闘が終わったようなその佇まいと死者の臭い…。
 
海岸線の被害はまさに筆舌に尽くしがたい。大型船が軽々と民家の庭に突き刺さっている。
 
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同行したKが、こんな臭いは初めてですよ…とつぶやく。取材した方々も、まだ発見されていない遺体は、船の下敷きになっていたり、瓦礫の下に埋もれたままになっているだろう…と話されていた。
 
自分より被災のひどかった方の話に、自分たちはまだよかった方ですと語られながら、「でも…まだ姪の遺体が見つかってはいないのです」と続けられる。
 
それでも、その方は笑おうとされていた。笑顔でいようとされた。そうしなくては、とてもいたたまらず、やるせないからだ…とオレは思った。いわきで聴いた小学生の女の子も、クラスでは亡くなった友達のこと、親のことはだれも言葉にしない。ただ、いつも笑顔でいる。こうしていることがありがたくて…。そういった。
 
明るい未来や元気に立ち直ろうとする姿をオレたちは見たいと思っているだけではないのか。笑顔の向こうにある人々の心の真実や思いまで、みようとしているのか…。
 
ふとそんな思いが頭をよぎった。「がんばろう…」そういわれても、どこをどうがんばればいいのか…。いえ。もう十分にがんばっていますよ…。そういいたくなるときがある。お互いの中で、がんばろうとはとてもいえないです。
 
最後に聴いたその言葉が、この国でいままかり通っている情報や報道の希薄さをするとく射抜いていた。