秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ここからが本当の闘いなのだ

いわき市の協働プロジェクトが実質的な動きだしの時期にきている。
 
今週中に基本的な枠組と手配を終え、あとは最初にやるイベント事業の詰めを進めることになる。と…その時期にうちの自主作品の編集のまとめ、そして、宣伝用チラシなど、付帯する作業も同時進行になる。
 
7月下旬までは走りに走る…という動きになりそう…。まだ、しばらくは緊張した思いが続くだろう…
 
いろいろな思いがあって、いまいわき市に関わっているが、最初にいわき市海岸部を見たときに、オレは、このブログで、こう書いた…
 
「涙は出ない…涙は心にたまっていく…」。
 
自然の圧倒的な力の前にまったく、無力な自分たちの姿を瓦礫だけになった町の姿に見た。そして、腑抜けた国政、行政の対応…。
 
被災地で、さも自分たちは特別な人間であるかのように、割り込みでガソリンを入れ、車両規制がある検問を一時停止もせず、当然のようにガードマンの前を猛スピードで駆け抜けていく報道の取材車両…。
 
被災地でのボランティアをやったから、被災地のことを知っているのだと愚かしく叫び、被災者は正義でそうでない人間は悪であるかのように連呼する人々の姿も見た…
 
原発から避難した人々が、自分たちが受けれいてきた恩恵の代償について吟味することもなく、現政府だけを避難する愚かさも知った。原発推進の歴史を築いてきた自民党自己批判をすることもなく、すべての責任は現政権にあるかのごとく詭弁を弄している姿にも愚かさしさを感じるばかりだ…
 
しかし、その愚かしさばかりに包まれたこの国の、忘れられた被災地の小さな町で、自分たちの力で立ち上がらなければと真摯に決意する人の姿も見た。

半径50キロという原発のキケンと隣り合せの中で、常に余震の恐怖を抱きながら、社員の生活や地域の経済活動を維持するために、喧々諤々議論を続ける経営者たちがいることも知った。
 
愚かしさばかりのこの国で、オレにできることは小さい。だが、その中でできることをやる。そこにしか愚かしさに対抗していく術はないのだ…
 
慰霊祭のとき、取材でしっかりと手を合わせることができなかった。せめてもと、被災地から戻った昨日、手を合わせてお経を読誦していると、涙が堰を切ったようにあふれていた…
 
涙はもう心の器の限界にきている… だから、ここから本当の闘いなのだ。
 
 
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