秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

意外に答えは簡単なところにある

午前中、銀行雑務を片付け、その足で、いや自転車で、今回の作品のプレビュー用に落としてもらったDVDRと音効用のDVCテープを受け取りに代官山へ。
 
事務所にもどり、音楽や効果音の指示のメモを台本に書き込む。担当のKは、先月まで劇場公開映画の音付けで、日活のスタジオに缶詰になっていた。オレの編集作業の遅れが出た分、バッティングを避けることができ、負担をかけずにすんだ。
 
夕方、技術会社の社長Oが来訪。編集の動作確認の最初のときから、付き合ってくれているから、今回の残念!は仕方ないとして、きっちり新システムを覚えた方がよいと、オレが思っていたと同じことを口にする。確かに。
 
物事、迷路にはまると、人はアレコレ考えるようになり、どつぼにハマるもの。実は、意外に答えは簡単なところにあったりする。しかし、知識や経験がある分、余計な頭を働かせ、解決から遠い混乱へ自ら導いていく。
 
そんなことを、珍しく二週間という短いタームで再会したMKちゃんの姿から学ぶ。
 
以前から開催を予定していた、MKちゃんの二人展。その作品のほどんどを実は、オレはすでに見ている。しかし、展示スペースで見るのは初。
 
今回は、世田谷の小学校を利用した施設で、地域住民や近くの小中学生も観にくる場所。かなり痛いMKちゃん本来の作品は、そうした事情で展示できなかったらしい。しかし、テーストを抑えた作品を選んだとはいえ、MKちゃんワールドだ。
 
苦言をいえば、MKちゃんの作品は、暗い照明の下の方が似合っている。教育的な公共スペースで、それができなかったのは残念だったろう。
 
 
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美術家、作家として、展示室にいるMKちゃんを見たのは初めて。バイトもやり、自分の生活のことであれこれ痛みや苦しみを抱えながら、いつものMKちゃんとしてそこにいた。
 
不思議なことだ。普段とかわらず、発表の場にいるMKちゃんが、普段通りであるがゆえに、かえって、こいつは表現者なのだなと思わせた。肩に力も入っておらず、虚勢を張るところもない。そういう場にいることに実に馴染んでいる。
 
銀座の画廊や渋谷のアートスペースなどで、ワインやシャンパンを飲みながら、見る個展には結構顔を出していた。現代美術の作家に友人が多かったからだ。しかし、そこでは、いつも虚勢や虚言、妄想ゆえの背伸びも多かった。
 
本当にアートがわかっているかというリッチなセレブ連中も多かったし、うざかった。そこには、ビジネスのにおいはしていも、アートの香りがしないことがほとんどだったのだ。
 
単純にものを表現したい。それだけに純粋な展示会にはそうそう出会えるものではない。もちろん、クオリティが大事だが、まずは、アレコレ難しいことを言ったり、考えて理屈をこねるより、自分が表現者でいたいということへの純粋さが大切だと、オレは思う。
 
共感覚の天才MKちゃんは、英語はもちろんフランス語もこなす。短期間に外国語が習得できるという才能の人。モーツアルトアインシュタイン共感覚の持ち主だったが、特異な才能がある人がほとんど。
 
いつも私はバカだからというMKちゃんだが、複雑な言葉の論理でなく、単純な感情に素直である分、人生の迷路には入っても、表現の迷路に迷うことはないのではないか…。
 
MKちゃんと別れのハグをしながら、ふとそんなことを思う。