秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

民主党代表選挙

民主党代表選は、大方の予想通りの結果。
 
いつもなら、政治、社会の話題であれば、このブログで一言語るところを、実は、あえてふれてこなかった。人に問われても、相手が識者か、政治に知識や関心のある人間でなければ、明確な発言は控えてきた。
 
深く語る必要のあるテーマは、基本的にオレのHPの「今月の評論OUT」で、述べることにしてるからだ。平易に語る必要のあるブログなどでは、誤解を招く危険もある。
 
アウトラインだけ述べると、オレ個人の考えは、小沢支持だった。
 
理由は、小沢が民主党の代表となった頃から提言していた日本の外交戦略や経済戦略の基本的な考え方に同調できる点が多かったから。
 
当然ながら、そこに明確にあるのは、外交においては、脱アメリカ。軍事・経済におけるアメリカからの自立とアジア地域の一員としての東アジア諸国との連携の強化。それに、国連決議に基づいた自衛隊の運用。国際協力における軍事に依存しない、人道支援の強化などがある。
 
日米安保は維持しつつも、これを見直すことで、田中角栄以来の独自外交路線の道を拓こうとした。吉田茂の宿題をかたずけるのが政治家の使命。小沢は、そう考えているとしか思えない。
 
内政においては、明治維新後、大久保利通伊藤博文によってつくられた中央集権の官僚機構の解体とそれによる税の配分システムを抜本から変えることだ。当然ながら、そこには地方主権の回復がある。それはいわば、日本近代が見過ごし、否定してきた藩政の復活だった。ここには、西南の役に自らかつがれた、西郷隆盛のにおいがする。
 
小沢という人は、日本近代の課題、問題点をよく学んでいる。同時に、日本人がもっとも底力を発揮できる社会システムの姿をよく知っている。ここでは、詳しく述べないが、オレがHPで述べている、日本共同体の不具合と強さを理解している。
 
おそらくそれは、田中角栄という偉大な政治家から学習したところが大きい。
 
しかし、田中角栄がそうだったように、日本の政治経済システムを基本から変えるという発想と発言、行動は、まちがいなくアメリカからのけん制や圧力を受ける。いわゆる、刺される。
 
日本人の多くが経世会的談合システムやそこにかかわる政治利権を嫌っている。それは、日本共同体の悪しき側面として、村社会文化や地域文化として、日本の近代化を阻害するものと、戦後教育され、現実に、境界線を求めない市民社会の形成には逆行するものだからだ。
 
いわば、自民党的であり、そこには、特定の人間たちが利権をむさぼる政治と金の癒着と閉鎖性が見える。
 
小沢になると古い政治に戻る。あるいは、政治と金の問題をひきずる。多くの日本人はそう思うだろうし、経世会的談合と利権を特定の人間がえる閉鎖された社会はもうやめてほしいと思っただろう。
 
一方、菅は、美しい市民社会運動を提唱した。みんなが自由に発言し、特定の人間が政治を推し進めることで生まれる、政治の危うさを訴えた。境界を求めない社会づくりをいっている。
 
当然ながら、菅は近代的市民社会のイメージを人々に与え、小沢は、古い日本共同体の悪しき社会をイメージさせる。
 
小沢という人については、その剛腕ぶりについては、確かに、いい話をきかない。政治は人気ゲームではないと思っているオレは、だから、政治家個々の性格や成り立ちにはあまり関心はない。
 
この国を人々にとってよき国とできる政策や戦略の深さと実現能力を問題にする。
 
小沢という政治家を失うことは、10年後きっとこの国に大きな後悔を残すだろう。その精神を理解し、その思想をどう取り込むかで、これからの政治が変わる。
 
菅的市民社会運動だけでは、この国の苦境を乗り越えることはできないからだ。なぜなら、菅が市民社会というとき、それは、だれを指しているのかが大きな問題だからだ。
 
菅はアマチュア受け、小沢はプロ好み。約束したことはきちんと果たす。多少のゆるぎはあっても、基本、国民に誓ったマニフェストの実現を徹底的に模索する。それが政治家の使命。近代的市民社会の合意形成の姿ではないのか。