秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

この世をつくるのは…

ハンナのばばあにTさんを紹介される。
 
地方自治体職員や中央官庁にも勤め、その後は秘書をやっていたらしいのだが、事務的業務ではなく、かつてやっていた議員秘書のような成果が見える仕事につきたいらしい。その再就職の相談。
 
どこかいい紹介先はないかということで、多少なりとも議員や議員関係団体と人脈のあるオレを引き合わせたかったらしい。
 
ハンナのばばあ、基本、女性客にはやさしい。だが、わざわざオレの事務所にまできて、Tさんのことで尽力してくれないかといった世話の焼き方をするのは、初めて。
 
「いろいろ話を聴いてさ。娘のように面倒みてやろうかなって思ったのよ…」。細かいことを話さないから、すぐにはその意味がわからなかった。
 
昨夜、ばばあの店で紹介され、乃木坂界隈に住んでいるのならとコレドにも案内しながら、Tさんのこれまでの歩みを聞かせてもらった。そして、ハンナのばばあが、この人の世話を焼きたいと思った理由がわかった。
 
40過ぎの女性たちの多くには、すべてがそうだとはいわないが、オレの女子同級生仲間のように、古き日本女性としての教育が、いい意味でも悪い意味でも徹底していると思う。
 
その育った家庭が、子どもにきちんとした教育をし、それなりの学歴を身につけさせた家の女子ほど、その傾向が強いような気がする。
 
それは、人への気遣い、人に迷惑や面倒をかけてはいけないという配慮、他者のための自己犠牲といた利他の心を育む部分もあって、とてもいいことだけど、そこには、同時に「女性はこうあるべき」という、男性優位や家優位の考え方をどこか刷り込まれているようにも思うのだ。
 
それが、結果的に、他者との議論や権利主張をさせなくさせ、「私が我慢すれば…」という形で、自分の意見を述べる自己表明や権利を勝ち取るための闘いから女性を撤退させてしまう。
 
男女共同参画や雇用機会均等法といった女性の職場での権利、生活権を守ろうとする動きはもう20年以上前から叫ばれ、制度としても整備されてはいるが、セクハラやパワハラモラハラが後を絶たないように、DVで苦しむ女性たちがいるように、男女共に、その意識を変えるまでは、まだまだ道半ばだと思う。
 
そうした社会意識の中で、ある程度年齢のいった女性が、自分のキャリア、経験を生かした仕事をやろうとするのには、壁や困難が多い。
 
Tさんの話を聴き、人となりにふれ、この人はずいぶん損をする生き方をしてきただろうなと思うと同時に、歯がゆくもあり、せつなくもなった。そして、ばばあが、この人の世話を焼きたいと思った、その理由がわかるような気がした。
 
いまという時代、声の大きい奴が自分の居場所を持て、陣地を広げる。声の大きい奴が、人を押しのけ、人を黙らせ、屁理屈をこねて、ねじまげた正義を正義にしてしまう。
 
そうした中で、はじかれ、押しのけられる人たちが、この社会にはいる。
 
ある程度の年齢になると、女性は一足先に職場の一線にいられなくなるし、男性も高年になれば、脇に追いやられることも少なくない。以前にも、述べたが、戦争を体験し、高度成長を支えた高齢者が受益者負担という名で、税負担や介護負担を担わされるような国だ。
 
すべて世の中が悪いわけではないが、それなりの人生と経験を生きた人々が性別や年齢にかかわらず、社会の有意な人材として、活躍する場とチャンスが与えられる社会でなければ、人は、自分が年齢を重ね、老いていく未来に何かを描くことができるのだろうか。
 
人にはそれぞれ、人に役立つ能力、社会や世の中に貢献できる力が備わっている。
また、そうしたものを通して、生きがいや生きる喜びを実感できる。
 
この世に必要のない人がいないように、この世をつくるのは、いろいろな人、そのものなのだ。