秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

たおやかな時間

身の回りから「たおやかな時間」が失われて久しい。
 
何もしない一日を過ごす。実は、いまの時代、それが途轍もなく難しい。
 
世界中どこにいても携帯は追いかけてくるようになった。それを人は便利だ、安心だと思うが、世界のどこかにいながら、それは世界のどこかでなく、自分の家やオフィスにいることになり、休まることがない。休まる時間を求めながら、休めない時間をつくり出している。
 
休日を海外や国内のリゾート地で過ごせる、ゆとりのある人は、たおやかな時間を過ごすために、そうした場所へ行くのかと思えば、せっかく、ここまできたのだからと、あれやこれやとリゾートアイテムを欲張り、ヘトヘトになる。
 
生活費をなんとかやり繰りして、たまの休み、連休に、ふるさとやアミューズ施設へ向う人たちは、渋滞した道路にイライラしたり、満員の列車に疲れ果てる。
 
ならばと、近場でくつろうごうと思っても、連休や休日が決まっているから、同じことを考える人で、その場は人で溢れ、その人口密度の高さに嫌気がさす。
 
経済的にそうしたゆとりがまったくない人もいるだろう。そうした人は、人が休んでいているときもでも仕事をしないと生活ができない。いや、休みや連休があれば、返って、仕事ができなくなって困惑する人もいる。
 
お金もなく、余暇を過ごすゆとりもないから、それが、また、気持ちをイラつかせたり、落ち込んだりもさせる。
 
ことほどさように、いまの時代、人の心がやすまることがない。
 
だが、外に安らぎを求め続ければ、そうした苛立ちや不安、焦り、疲れが生まれるのは当然のことなのだ。
 
「たおやな時間」というのは、どこかに行って、何か普段とは違うことをして得られる時間ではない。
 
昨日、いつものウォーキングコースを汗だくになって歩いていると、日本最高齢の著名映画監督の車椅子を押す、孫のKとばったり、青山霊園の緑と光と、盂蘭盆でお参りにきた人々が焚く、ほのかなお線香の匂いの中で出会った。
 
遠くからオレの名を呼ぶ声に、すぐには気づけなかったが、その声に振り返ると、はっとするほど、たおやかな時間がそこに流れている。
 
S監督に挨拶すると、車椅子の上で、帽子をとって、丁寧に挨拶をしていただき、しばし、Kと車椅子のS監督と3人して歩いた。
 
何も聞こえていなようで、Kとオレが談笑し、あまり会わないながら息のあった会話をしているのを監督はきっちり聴かれていた。70年以上、日本映画の一線にいる人。オレたちの会話でオレとKとの関係も、オレのこともわかっている。
 
オレたちの冗談にほのかに笑うその横顔は、本当に、たおやかなものだった。
 
日常のそんな静かな散歩の中に、こんなにも美しく、たおやかな時間がある。日常を生きる、その心のあり方に、たおやかな時間が、実はあるのだ…。