秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

縁側の手

先月誕生日だった、イガにプレゼントを渡すつもりが、先月後半からずっと企画書づくりに追われて、渡す間がなかった。
 
ネーリストKについでのときにでも渡して、ことづけようと思っていたが、オレの企画書書きが一段落したところで、二人してきてくれることに。ならばと、すっかりKと親友になった濃姫も誘う。
 
家飲み。イガがプレゼントの御礼とくれたのは、ステテコ。それもいまふうの。唐草模様というのは、いかがなものだけど、笑いをとるのが好きな奴らしい。暑い時期、部屋着にはいい
 
オレの唐草模様のステテコ姿が見たい人は、カキーンと冷えたプレミアモルツの缶ではなく、瓶ビールを持って夕方遅く、来訪のこと この時期、陽が沈むとビールが飲みたくなる季節。
 
♪瓶ビールは2本もあればいい。摘みは枝まめがあれば、それでいい。ちょっと贅沢したいときは、たらこをあぶった奴があればいい~
 
ほどよくできあったがところで、イガは初のハンナのばばあの店へ。4人してカウンターに座り、閉店過ぎまで飲む。
 
前回のKの誕生祝いのときは、すっかり酔って後半、ほどんど覚えてなかったが、昨夜はほどよい酔い。久しぶりのイガ節(結論にたどりつくまで、やたら話が巡る)を聞けて、なつかしかった
 
オレが子どもの頃、大人たちは家飲みがほどんどだった。
 
みんなが等しく豊かではなく、ささやかな手料理のつまみで、会社の上司と部下、先輩と後輩、同僚たち、親戚、友人が集った。何かの祝い事のときは大勢になり、女たちが総出で、料理をつくるが、ちょっとした家飲みは、簡単なものでやる。
 
そういう大人の席に、しかも酒席に、子どもも付き合わされた。家が狭かったからだ。だが、それは、いま振り返れば、子どもには、大きな社会教育の場だったと思う。
 
大人の仕事の苦労話、人間関係のごたごた、家族のこと、子どもの成長のこと…。あれこれ語る大人たちの会話の中に、子ども心にも、大人の世界や大人の普段、家人だけでは口にしない、いろいろな思いを聞き取ることができた。
 
それが、知らなかった父の一面、母の半面をみせ、親を理解する手立てにもなったし、世の中とはこういうのもんだという基礎知識を得ることができた。
 
人が家にくる。それは、とても大切なことなのだ。かつては、どの家にも縁側があった。家というプライベートな世界からちょっと外へ、パブリックに突き出た縁側。それもほどよく、突き出ていて、人がちょこんと腰を下ろせる程度。
 
そのちょこんと外へ開き、いつでも、だれでも、立ち寄ることができる世界。それがあることで、閉じたプライベートな世界が閉じきることがない。いわば、私たちの家、家族を世界とつなげてくださいねと、手を出している。
 
それが、何事が困難があるときには、救いを求める手にもなるし、だれかが救いを求めることもできる。
 
ほのかに風を感じながら、あるいは、額の汗をぬぐいながら、世間話の中から、人生の苦労や悩み、愚痴や溜息をもらし、人に何かを吐き出すことで、人は元気にも、がんばろうとも思えた。
 
秀嶋カフェはそんな場を目指そう…。