秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

65年目の沖縄

明日23日は、65年前、沖縄戦終結した日。3月23日から始まった米軍の上陸と攻防の中で、3ヶ月にわたる戦闘で亡くなったのは、日米双方で約20万人とされている。
 
だが、約60万人の沖縄県民の内、戦闘に巻き込まれ亡くなった方を含めると、約15万人の沖縄県民が亡くなっている(援護法の適用を受けた方々)。実に、4人に1人の県民がなんらかの形でいのちを奪われた。
 
同じく本土決戦の硫黄島と決定的に違うのは、その点。硫黄島は戦闘前に民間人を島外へ退去させた。本土防衛の名の下に、もっとも悲惨とされる地上戦で、本土の盾とされたのは、唯一、沖縄県民だけである。
 
沖縄でも民間人、とくに子どもを県外へ非難させようとしたが、本土へ達する前に米軍潜水艦によって撃沈されている。帰還させるという発案がすぐに通らず、通ったときは、すでに沖縄は空からも、海からも孤立していたのだ。
 
戦艦大和が片道の燃料しか搭載を許されず、特攻に向かい、撃沈されたのもこの時期。当時の軍部の、何か戦意高揚になることをやらなくてはという、見栄と体裁のために立案された無謀な作戦。搭乗員約3000名の内、2489名が何の戦果も期待できない特攻でいのちを落とした。
 
護衛機の戦闘機は本土防衛に必要として途中帰還。動きが悪い超大型戦艦が護衛機なしは、丸裸で、どうぞ撃沈してくださいといっているような考えられない、幼稚な作戦だった。それをする愚か極まりない参謀本部だったのだ。
 
日本軍の組織的抵抗が無力化したのが6月19日、23日は最高司令官牛島中将が自決。その日をもって戦闘が終結したわけではなく、米軍の掃討作戦は6月末まで続いたが、沖縄県は、牛島中将自決の日をもって、沖縄・慰霊の日と制定した。
 
オレは、よく反戦をテーマにした話で語ることがある。否、紛争や戦争だけでなく、災害での被災、事故、犯罪でも同じ。1人の人間のいのちが奪われるということは、その家族、親族、友人、知人を含めると膨大な数の人々の心に深い傷を残すのだ。
 
正確な死傷者数や被災者数がわからないから、約○○千人、万人という言い方しかできないが、数字の嵩ではなく、その数の向こうに一人ひとりの生活や人生があり、思いや願いがあることを見失ってはいけないと、オレは思う。
 
広島、長崎の原爆投下でも、東京を始めとする主要都市の無差別爆撃でも、そこには、一人ひとりの生活と人生があった。戦闘や被災の中の恐怖や痛み、苦しみ、嘆き、それが一人ひとりの心を裂くように、そこにあったのだ。
 
65年前の記憶は、戦争体験者が少なくなる中で希薄になるばかりか、その伝承と記憶の継承も断絶されている。
 
沖縄・慰霊の日と同じ時期、サッカーワールドカップに話題は集中する。平和の中でスポーツを楽しめる。スポーツに夢をかけることができる。デンマーク戦の分析もいいが、普天間基地問題、海兵隊のグアム移転を抱える沖縄のことを、同じ日本国民の問題として、サッカーに熱狂するように、この国の人々は果たして、考えることができているのだろうか…。
 
それができなかったところに、65年前の沖縄の悲惨は生まれた。