秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

未来を拓く菩薩行

朝8時から、二日続けてのブッティストの勉強会。昨日は資格試験の勉強だから、朝8時から夕方4時近くまでみっちり。
 
もう二年続くこの勉強も次回で終了する。
 
参加している方たちが、この勉強をやるようになったきっかけは様々。家庭のこと、生活のこと、仕事のこと、健康のこと、いろいろと問題や悩みを抱えてきた方たちばかり。
 
その悩みを克服していくために、仏教精神を根幹において、ボランティアや人様のための奉仕活動、救いの活動を生活の中で少しでも実践しようという人たちの集まりだ。
 
悩みや問題があるのに、他者のための救いの活動をやるということを不思議に思う人がいるかもしれない。
 
しかし、仏教を学べばわかるが、悩みや抱えている問題の根っ子にあるのは、自分自身の歪んだ心。それを糾すには、我執や執着に囚われて、盲目になっている自分の問題でなく、人様の問題に取り組む方が、自分という人間のあり方に気づきが持てるのだ。
 
これを仏教では、菩薩行の実践といい、布施行とも呼ぶ。布施とはお金だけではない。人のことを心配する、人のために何か身体をつかう、念じる、そのすべてが布施行。
 
菩薩行とはよいことをするということだが、よいことをしようという心は、よいことができていない自分への気づきを持たせてくれる。そして、よいことのできていない自分を申し訳ないと内省させる心をつくってくれる。不義理や迷惑をかけている自分の足りなさ、愚かさに目覚めさせてくれるのだ。
 
不思議なことに、自分が問題を抱えているときほど、人の悩みや苦しみに耳を傾け、自分に何ができるだろうかと考えると、同じように悩みや苦しみを抱えながら、いろいろな気づきの持てていない他人の姿に、はっと、自分を振り返らされる。
 
人への感謝、親や先祖に対する感謝、苦しさの中でも支えてくれている人々の思いに、はっとなる。
 
人は、だれも完璧な人はいない。自分の思い通りにならないと外に原因を求め、他人を批判し、責める。傷つけられれば、人を恨む。裏切られれば、人を許せなくもなる。厳しい言葉や辛い言葉を浴びせられば、そんな人とは会いたいもないと思う。
 
だが、人は互いに足りない同士。だから、いろいろな齟齬や葛藤、問題が起きる。しかし、その縁を生んでいるのは、結局は自分のあり方なのだ。人が自分に辛い言葉をかけるのは、その人の中に人に言えない辛さがあるから。
 
なかなか、簡単にそう思えないが、よくよく考えてみれば、そうした人の心の奥にあるものを読み取れていない自分の中に、辛い縁をつくってしまう心がある。
 
だが、わかっていてもそうできない。だから、自分を捨てる、利己心を捨てる修行をやる。一長一短にそうできなくても、失敗の中から常に学ぶ心があれば、少しずつでも人は変わっていける。
 
そう信じて、未来を拓く以外に道はない…