秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

小町と村娘

もうすでに気づかれているだろうが、このところ、実年齢は、500歳という小町(京女優のKのハンドルネームを能楽の小町の霊がよみがえる「卒塔婆小町」からとって、昨夜命名! ※このエスプリのわからない奴は、三島由紀夫の『近代能楽集』を読むべし)と村娘Rのブログ登場回数が急激に増えている。

あほな村民たちと賑わい好きな助役のYouは、またまたカントク(ソンチョウ)がいい感じのオネェちゃんたちにお熱を上げていると、しがない噂話をしているのは、予想できている。

「イってQ」のイモトことYが、かつて、ベティと涼子、女優の内田の登場回数が多いのを取り上げて、「ベティ、ベティ、涼子、ウッチイ、ベティ、涼子じゃないですかぁ! 男が全然登場しないじゃないですかぁ!」と叫び、青山村の<なんでもすぐやる課>の課長イガがそれに同調するなどということがあった。

青山村の住職、永平寺で修行を積んだハマは、「カントクは、生き鮭をがぶりとつかむ、猛獣系のクマさんで、ハチミツなめるディズニーのクマのプーさんではありせんぞ。だから、野獣系は、当然のこと。ユメユメ、油断めされるな。南無~」と説教していた。

ボケの鋭いつっこみで、青山村助役とハマに人気のMKちゃんからは、「あなた色情狂?」と聴かれた。

スズメたちは、ことちょいいい感じの女性が登場すると、またぞろ、ピーチクやり始める。まだまだ、ソンチョウの深い愛と孤独が理解できていない。

ということで、昨夜、「突然の女」のお株をとって、小町が突然の女をやる。ちょうど外回りから事務所に戻り、小町のブログを読んで、しばらくしてのこと。イタコでもあるソンチョウには、その心の動きがすぐにわかる。

「突然ですが、遊んでくれはりまへんやろか…」。註:風俗のオネェちゃんの言葉ではない。京都の名門私学を出て、元NHKのアナウンサーで、歴史ある寺侍の総領の家庭に育った、京女の言葉だ。

前日の村娘Rとの深酒で(村娘は氷なしウーロン茶だが)、脳にアルコールがまだ残ってはいたが、大方の事情がわかっているから、事情を知らないふりして、いいよの返事。

しばらくして、オフィスを訪ねてきた小町。「突然の連絡で、なんかあったんや思いはりましたやろ。でも、なにもないんどす…」。うそぴょん!とは、わかりつつ、ブログ読んだよというと、「なんや、恥かしいわ。お見通しや…」。

実は、昨日、65歳という若さで亡くなられたお父さんの命日。昨年が七回忌。いままで、命日に京都にいなかったことはないらしいが、この間、墓参りは済ませているので、東京に出てきて初めて、命日に東京にいる。3月8日は、小町にとっては、ミモザの日。丁度、父君が亡くなるとき、ミモザの花があった。

以来、3月8日は、ミモザの日と決めているらしい。東京の実家と呼んでいるコレドでしんなり飲もうと思ったのだろう。だが、店は芝居の公演初日が入っていて、落ち着いて飲める雰囲気ではない。「そうや。ソンチョウさん、近いし、いてはるやろか…」と思ったにちがいない。

彼女、実は、パパっこ。末娘で、父君が40歳のときの子。「寺内貫太郎一家」のオヤジのような人で、高校の校長先生をして、生徒や教師たちに慕われるいい先生だったらしい。だが、その分、ストレスも多かったのだろう。酒癖が超悪く、まさに向田邦子の作品に登場するような、家庭だったらしい。

あるとき、父母の関係もこれまでか。離婚か。と思ったとき、父親がひとり庭の手入れをしている。自分の部屋の障子を開けて、その父の背中を見て、彼女ははっとなる。あまりにも深く、寂しい背中だったからだ。

家族に頭を下げること、ごめんなさいの一言がいえない、不器用な父。だが、心の中では、人知れず寂しさを抱えている。だからこそ、酒に飲まれるようなこともある。普段、威厳に満ちた父の背中は、いままで感じたことのない、寂しさにあふれ、娘は、ここで自分がいわなければ、父は、きっと、もっと孤独で、やるせない寂しさを生きなくてはならない…。

生まれて初めて、娘は父に説諭するようにいった。しかも、威厳を保とうと意地を張る父の気持ちに伝わるように。

正確ではないが、要約するとこうだ。「お父さんは、もうええ歳になって、これまでの生き方は、よう変えられんのはわかります。でも、その歳で、また懐の深いことできるお父さんであってほしい。うち、そう思うんのやけど…。お願いやから、度量の大きいところを娘に見せてくれはらへんやろか…」。

どれくらいの時間かわからない。背中を向けた父の庭バサミの音だけがカシャ、カシャッと鳴って、娘は返事のない父の背中を、じっとみつめていた。きっと、眼にいっぱい涙を溜めて…。そして、しばらくして、庭バサミをふと置くと、父は娘に、「何してるんや。早よう支度して、車に乗り…」と、実家にいる母を向かえにいった。「オレが悪かった。ごめんなさい…」。おそらく、父は初めて母に詫びたのだ。

発病したのは、それから一年ほどしてのことだったらしい。小町の言葉がなかったら、彼女の父君はどれほど寂しい最後を迎えたかわからない。もしかしたら、それが臨終にも立ち会わず、オーディションのために新幹線に乗り、東京のテレビ局にいってしまった彼女の唯一の慰めなのだろう。

その思いをブログに綴っていたのだ。お父さんにきちんと喜んでもられる女優になります。いままでもそれなりの仕事はしているが、父の死に目に合うこともせず、芝居に生きようとした女の志。

甘えん坊といえば、それまでだ。人それぞれに家族への思いはある。その深さにおいて、甘えも厳しさもない。

そうした話になるのはわかっていたから、前日の酒の名残で体力のないオレをフォローすべく、村娘を急遽、呼び出す。

村娘も仕事でちょいイラっとしていて、父君の話のあとの戯言で、少し気分を変えられたらしい。それぞれに顔を合わせているが、よく考えば、初めてコレドで出会って以来の二人。それでも、互いに関心や興味がある。これからは、それぞれに青山村の村民として、役場に顔を出せばいい。

だが、癒される場所はどこにでもある。役場にこだわらず、これからも、自分の生活の中で、いい人との出会いを大事に生きていけば、それでいいのだ。

あなたたちには、それを生きられる親から受け継いだ力と願いがある。