秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

明日への種

社会教育、人権啓発、学校教育関連の映像ソフトは、行政関連団体の予算で動いている。

そのため、9月政権交代のこの時期、民主党補正予算執行凍結のあおりをうけて、市場がまったく動いていない。中央官庁のコンペも8月初旬までが駆け込みだった。

小泉構造改革以来、地方の切捨てが進み、各自治体の予算が大幅に激減した。同時に、地方企業の疲弊と都市への資金の集中で、税収も減った。そこに、竹中の無策中の無策といわれる、地方交付税を受け取りたくば、市町村合併せよという圧力がかかり、行政サービスの窓口が統廃合されるという事態が起きた。

その結果、住民サービス、地域教育の要であった、公的教育施設、人権施設まで統廃合される結果となったのだ。

教育市場での映像ソフトのジリ貧状態に、拍車がかかり、予算を社会教育、人権啓発、学校教育にかけるゆとりがなくなっている。そこにきて、この政権交代による凍結。普段なら、新作ソフトの市場が動き出す時期に、無風状態のようになっている。

社会や人権への啓発予算というのは、実はわずかなものだ。また、そうしたソフトを購入したにせよ、住民の関心が薄く、十分に活用しているといはいえない側面もある。だから、削減の対象にもなれば、縮小の対象にもなる。

が、しかしだ。学校教育の場では、教科教育をやればそれでいいというものではない。権利教育とまではいわないが、人が人とどう接するべきかの基本となる人権啓発は、将来の人材育成の上でも必要不可欠なものだ。

また、恒常的に教育の場を持たない、社会人、家庭人などにとって、行政サービスの生涯学習の一環として、社会教育、家庭教育、人権教育は、なくてはならないものでもある。

活用のほどがどの程度かというより、いつでも、だれでも、求めれば、そうした情報が得られ、それによって、個人、地域が抱えている問題を市民が検証できる場とチャンスは保障されていなくてはならない。

効率や経費削減の観点から見れば、社会、人権教育は、無駄な費用のように思う、愚か者が多いが、人間力、人材力を高める上でも、また、国際社会で外国人と接する上でも、不可欠なものなのだ。そのときには、すぐに大きな芽を出すものではないが、そうしたことを怠らない行政の姿勢の延長に、地域再生や地域の絆の回復が見えてくる。

なぜなら、そこに、いのちの尊厳のために、他者の痛みのために、己の人権のために、社会のためにという発想が芽生える道筋があるからだ。

社会教育、人権教育というと、どうしても腰が引けるという人は、多い。また、作品に良し悪しもあるが、戦前のように、大人の教育力、地域の教育力がない現代、こうした、枷(かせ)は、外してはならないし、失ってはならない。

そうしたものを、豊かさの代償として失ってきた結果として、今日の物利優先の社会が生まれ、人と人との絆の構築が難しい社会を生み出してしまったのだ。

啓発予算は、人の心を育てるための、明日への種なのだ。

それへの手当ても思いつかないとなれば、民主党もたいしたことはない。