秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

再演すべきときがきている…

昨日、NHKのBSで「戦争証言シリーズ」の後半を放送していた。
 
3時間のスペシャル番組。そのほとんどが戦争体験者の証言だから、視聴率がどの程度あったのか…。確か、裏では日テレの24時間をやっていたと思う。
 
この一週間、終戦特集で、遅い時間には、山田洋次が薦める名作映画「人間の条件」(原作五味川康平・監督小林正樹・主演仲代達也)が連夜放送されていた。ギネスにものる映画史上最長の映画。昔の日本映画人の気骨がその長さでも伝わってくる。

戦争体験証言も、そして「人間の条件」も、そこで語られる世界は、平時にあっては、まっとうな人間でも、戦争といった非常時、飢えや渇き、自分が命の危機に直面したとき、どれほど浅ましく、愚かしい存在に豹変するかという人間の本質だ。

オレは、人権啓発関係の講演などで、必ず、それを語ることにしている。明るい日差しを楽しめる生活の中で、人を差別していはいけない、民族や言葉の違いで他者を排除していはいけない、みんな仲良くしよう…そんなことはだれにでもいえるし、そうあろうとすることは難しいことではない。
 
だが、何かで自分が追い詰められ、被害者とならない安全な場にいようとすると、人は平気で他者を傷つけるし、極限の世界では、人を殺すことさえできる。一度、そのチャンネルが自分にもあることに気づくと、次には人は、罪悪感もなく、自分の行為を正当化してそれができるようになる…というのが人の真実でしかない。集団になれば、それは集団本能にもなる。
 
それを前提にした、人権教育、啓発でない限り、差別の本質にも、人権意識を根付かせる道へもたどりつくことはできないのだ。それをこの国は、戦後のある時期からやらなくなった。醜いものに蓋をする…という地域、社会、国づくりを進めてしまった。

それは単に倫理や道徳といった世界の領域ばかりでなく、オレたちの生活意識全般のあり方、政治や経済、あるいは、カルチャーにも大きく影響を与えている。人の真実を見ようとしない。あるいは、観たとしても、それを自分の生活の現実に落とすことができない、あるいはしない、連中が増え、テレビも映画もつまらなくなった。
 
オレが小学生の頃、テレビ版の「人間の条件」が放映されていた。あるいは陸軍の神風特攻隊や海軍の人間魚雷回天の兵士たちの姿を描いた作品もあった。戦後の進駐軍時代の理不尽な米兵による事件を扱ったものもある。それは、いまだ沖縄が抱えてる理不尽さだ。

小学校の教室で、あるときふと、教師が空襲の体験を話すこともあったし、インパールにいった自分の伯父の話を聞かせる教師もいた。そうしたときは、水を打ったように教室が静かになっていたのを覚えている。
 
戦争や理不尽な社会情勢の中で、犠牲になるのは男たちばかりではない。ボスニアの内戦でも、そうだが、犠牲になるのは、高齢者、女性、そして子ども。いまのような震災後の世界でも、それは同じだと思う。
 
証言者のひとりがいっていた…と同じセリフが「人間の条件」の中にもある。「戦争に負けた国の女はみじめなものさ…」。

山形を舞台にした、ある戦時中の芝居をもう30年ほど前に書いて上演した。あの作品を再演するべきときがきている…