秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ピクニック

秋の気配が急速に近くなっている。

台風の影響で、来週中盤は再び、雨天続きの気配だが、週末から土日は、秋の入り口らしい陽気。昼間はまだ、残暑だが、朝晩は冷えてきた。

時の経つのは、本当に早い。歳を追うごとに、その実感が深まる。

先週、打ち合わせや会議、資料づくりと緊張感が続く毎日で、さすがに運動不足。疲れも溜まっていた。
この土日は、運動不足の体を鍛える。いつものアレーを担いだウォーキング。

今日は、要件があり、久しぶりに物書きのMちゃんと新宿御苑へ。どこでもよかったのだが、日曜を指定されてしまった。晩飯とも思ったが、月曜は少し早めにおき、資料づくりがあるため、そう遠くへ出かける気にもなれず、ならばと、午後、新宿御苑へ。

ずいぶん、行っていなかったが、オレは、一人、もしくは数人で、以前はよく御苑へいっていた。ビールとワイン、それにパン、チーズ、フルーツ、ハムなどを持ち込み、芝生の上で、昼酒を飲む。いわゆる、ピクニック。

いまは、根室でワインレストランをやっている旧友のサトミちゃんが、一時赤坂に住んでいたとき、役者やスタッフを誘い、よくいっていた。

都心に住んでいて、意外と御苑でピクニックをやったことのない奴が多い。だが、連れてくると、みんな一応に感動する。オレ的には、ニューヨークのセントラルパークの感覚。

芝生の上で、おいしいパンとチーズ、それに赤ワインがあれば、至福のときだ。今日も陽気がよかったからか、家族連れやカップル、友人仲間の輪ができていた。

昔、オレが主宰していた劇団が厚生年金会館の裏手にあり、御苑はすぐ近くだった。その関係で、御苑ピクニックを思いついたのだ。

古い映画で、グラマー女優、キム・ノバック、ウィリアム・ホールデン主演の『ピクニック』というのがある。小学生の頃、日曜洋画劇場か何かで見たのだが、キム・ノバックの豊満な肢体と、色気のある眼にやられた。

優秀な大学を出ながら、バスケットボールに夢中で就職活動もやらず、結局、各地を転々と職を求めて生活する貧困層出身の青年が、ある街をふらりと訪ね、大工仕事を見つけた家の隣家の長女と恋に落ちてしまう物語。

彼女は、青年の粗野で、世渡りが下手だが、男を強く感じる性的魅力と弱い者への配慮を忘れない人柄に惹かれるのだが、次女に乱暴を働いたと濡れ衣を着せられ、街を出る。青年の行為は実は、次女の嫉妬から出た虚言だと知った長女は、彼を追いかける。

「色男、金と力はなかりけり」の典型的バージョン。しかし、その青年は無実を抗弁しない。放浪生活の中で、自分の主張が正義と受け止められることはないという経験をつんできたからだ。職のない風来坊に社会的信用はない。

人は、理不尽なことや不都合な現実と直面したとき、ときとして、その真意や真実を語れないことがある。何か圧力があってそうなるのではなく、そこで主張や抗弁をしたところで、一度、色眼鏡で人間を見るようになると、人は、その人の持つ、繊細さやそれゆえの痛みに気づけないことを知っているからだ。

自分ひとりが我慢して、周囲が丸く収まるのなら、それでいい。そうやって、わずらわしい議論から撤退する。それは、それ以上、互いの傷や痛みを深くしたくないからだ。

多くを語らず。それも、時として、人には必要な美学なのだなと、その映画を観て、子ども心にも感じた。

そんなことを思い出しながら、久々、御苑の芝の上に大の字になって、空を仰ぐ。晴天で雲が少なかったのは残念だった。子どもの頃、こうして、空を見上げ、雲の形の変化を、いろいろな動物や人の姿に見立てて、一人で楽しんでいた。

Mちゃんは、あれこれ話をしていたが、要件を伝え終わったオレは、実は、そんな小学生のときの映画と自分の癖だった経験を思い浮べながら、空と雲をみつめ続けていた。Mちゃんには、悪かった。

秋の匂いのする風に、身をまかせていると、人は、ナーバスになる。