秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ありがたい

昨日は朝から一日ボランティアの勉強会。

前日の土曜日は、映画の後、ご無沙汰していた乃木坂の「うまいぞう」でベティとメシをする。事務所のすぐ傍なのだが、かれこれ、2年近くいっていなかった。開店当時は、週に何度か顔を出し、店長とも顔なじみで、仕事の打ち合わせや仲間、役者との飲み会によく使っていたのだが、乃木坂の開発で、界隈に業界系の会社が増えると、平日は事前に予約を入れないと座れなくなっていた。確かに、業界受けする店。なんていっても、オーナーがグッチ祐三だ。

映画の帰り、表参道のBerry Cafeでフルーツタルトをぺロリと放り込み、晩メシは何食おうとベティと青山通りを歩いていて、ふと思い立って筺

なぜか、店一番のお薦め、高座豚のとんかつが食いたくなった。いい脂の味がするのだ。店長は、相変わらず、いつもの調子で、ノリがいい。珍しく空いているというので、ベティを連れていく。が、お目当ての高座豚が入荷していない! 

だが、グッチさんが番組で全国歩いてうまいぞうと思ったものを、アレンジして出しているいるから、他のつまみもうまい。それに二人連れということで角のいい席をとっていてくれた。ありがたい。

その後は、コレドへ。コレドに入ってすぐに、MKちゃんが、ずいぶん会っていない、バイオリンの世界的マエストロのSさんに携帯で電話をしてくれた。久しぶりの会話。ゴルフ場近くで飲んでいるというSさんに心不全で倒れないでよと軽口をいい、いつもの戯言を交わす。オレがSさんと会いたいだろうと察したMKちゃん。いつものやさしいSさんの声にも、MKちゃんの気遣いにも感謝。ありがたい。

途中、新人バーテンダーのYくんが、いつもオレが奴のカクテルにあれこれ注文をつけ、一度いってみろと長い付き合いのバーデンダーのやっている新宿の店のことを語っていたのだが、ぜひ行きます、連絡先を教えてもらっていいですかという。ならばと、半年に一度くらいしかいかない奴に笋垢襦こういう奴がくるからよろしく。それをすぐに理解できる奴の対応が、またありがたい。

ベティは映画に来る途中、地下鉄に置き忘れてきた傘が気になるらしく、落ち着かない。それを察して、そろそろ退散しようとしていたら、カリスマ美容師Iからベティの携帯に着信。表参道から乃木坂に来る途中にも、電話があった。ベティにかかってきている電話に横から口を出すのも何かと思って最初は遠慮したが、2度目の着信だからと、ベティに電話をさせ、電話を代わると遠慮するカリスマを無理くり誘う。

合流したカリスマと3人で終電近くまで飲む。MKちゃんに、こいつシンナーで頭やられているからと、いつものネタをふる。「もうカントク~。そんなこといわないでくださいよ~」と、受けながら、MKちゃんにつまみの注文。「キュウリとシンナー」。グッド!! さすがカリスマ。わからかしてくれる。ノリと場を心得たこの対応。これもありがたい。

あれこれ盛り上がっていたが、後半、オーナーのMさんが、ほかの客との話から珍しく妹ネタをオレにふる。で、「問題」大女優の妹話で盛り上がってしまい、カリスマとベティを置いてきぼりにしてしまった。コレドになれてない奴らには悪いことをした。でも、どうしたのだ? Mさんが自分から妹ネタで店の客を巻き込むのは本当に珍しい。いつもは妹ネタは嫌がるのに…。

そんなこんなの缶詰生活1週間の後の週末の癒しタイム。仕事で忙しいときは、ブログでしか近況を伝えられないが、時間のあるときに、ベティやカリスマのように、こうして、付き合ってくれる仲間がいることはありがたい。また、たまにしか顔を出さない客なのに、気遣いをしてくれる店の連中もありがたい。

そういえば、ちょうど企画書書きでパニックているときに、ずいぶん顔を出していない渋谷の店のオーナーNからも電話があった。忘れず、気にかけてもらっていることもありがたい。

ベティ、カリスマと3人で飲んでいるときに、ベティに視野を広げさせたく、バカ女になりたいのかと、いつものように、あれこれ語っていたのだが、「いつもこうして説教してもらってるんですぅ~」というベティに、「カントクの話は、説教じゃないよ。愛情のあるちゃんとした大事な会話だよ」と、カリスマが諭す。

人がいま直面している問題や、普段の生活の中で得られない充足感に、不安や不満をかかえているとき、必要なのは、自分の視野を広げることだ。そのためには、後先のことばかり考えて、次の挑戦、次の世界へ身を投げ出す怖れを払い、飛び込む勇気。いままでと同じことをただ繰り返していては、怖れを払うことも、飛び込む勇気も生まれない。人は変れる。それを信じる気持ちがなくては始まらない。

視野は経験という学習の中でしか、広がらない。しかし、いまは、経験がなくとも、情報で未経験のゾーンがわかったような気になる。シュミレーションとロールプレイングゲームの広がりが、経験もなく、実感もないのに、わかったような気になっている耳年増を量産している。また、シュミレーションやロールプレイングゲームのように、軽く人と付き合い、傷つかない体験を重ねる連中が多い。

つまり、本気で変ろうとはしていないということ。変わるためには、傷つく痛みが必要。新しい出会い、新しい情報、新しい考え方、新しい挑戦が必要なのだ。目からうろこの体験や経験が人を本当に変える力になる。

カリスマは、それを自分自身が求めているから、オレのブログやオレが語っていることの意味がわかる。求めなければ、そうした自分を変える新しいものとの出会いも、それに気づくこともできない。

人はいくつになっても成長することを投げ出してはいけない。周囲のありきたりなものから学ぶことを忘れてはいけない。

オレは、この週末の癒しのためのわずか一日で、どれだけたくさんの人に、「ありがたい」と思える心遣いをしてもらただろう。その一つひとつを感じ取れることも、視野を広げる大切なことなのだ。人がしてくれた、ありがたい行為の向こうにある気持ちを、それは計算じゃないか、何か目的があってのことではないかと疑っていたら、ありがたいこともありがたくなくなる。それでは、ありがたいことをしてもらえる人も経験も少なくなる。いなくなる。

軽薄に生きたくなければ、素直にありがたいの向こうにある、人の気持ちに感謝し、新しいことをやっても、自分はこんなにありがたいことに包まれているから、大丈夫という気持ちを養うことだ。