秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

エクレアの唄

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2.26慰霊祭の帰りにゲットしたスイーツ。

金曜日の上映会が終わって、ベティとコレドへ。Mちゃんから受け取ってといわれていた、DVDをようやく、MKちゃんから受け取る。午前3時過ぎまで、二人でダラダラ語りながら飲む。オレもベティも実は、このダラダラ、まったりが嫌いではない。まったりを始めると、二人とも結構、話がつきない。しかし、一応、コレドは、営業2時まで。ノリとしては、朝までOKだったが、気を遣い店を出る。

土曜日は、次の企画書書きの下調べに当てようと思っていたが、中途半端な睡眠と酒の残り香でボーとして過ごす。体調が悪かった先週の体力を回復するように、昼はがっつり中華を外食し、夜は、うな玉丼を自前でつくり、これもがっつり食う。午後10時過ぎには爆眠。

今朝、目を覚ますと、なんか調子いい。やはり、医食同源、それに睡眠が大事なのだ。で、天気もいいからと、ウォーキングに出るついでに、東京都議選へ。一汗かいて、風呂に入り、麻のサマージャケットにネクタイをして、恒例の二・二六慰霊祭へ向かう。

今年は74回忌。オレのHPにも書いてあるが、麻布十番にある賢宗寺は、佐賀鍋島藩菩提寺。オレとゆかりの深い寺。秀島の墓もいくつかある。ちょうど彼岸の月、慰霊碑向かいの秀島家の墓にも一礼して、慰霊祭へ。74年前の今朝、午前7時から処刑が始まり、午前9時前までに15人が銃殺された。その他は、鎮圧後、自決したり、負傷して入院中に自刃したりしている。残りの北一輝ら民間人たちは、8月に銃殺刑にされた。総勢22名。

いまの日本の社会、政治状況と非常に類似した時代だった。東北の貧農の人々を救い、一部の富める者たちだけが甘い汁を吸う、格差を生んだ政治を糾そうと決起した人たちだ。昭和天皇に上奏され、天皇にその声は届くと、軍部の力を強化し、戦争へ突き進もうとする一部の軍上層部(統制派)に謀れ、結局、怒った昭和天皇によって、処刑されたのだ。

昭和天皇は、戦後、亡くなるまで、自分の謝った判断を謝罪し続けた。あのクーデターが成功していたら、日本は太平洋戦争というおバカな戦争などしなかったかもしれないのだ。少なくとも、国民を第一に考え、戦争の犠牲者は遥かに少なくてすんだ。

と、ふつふつといつもの静かな怒りが沸いてくる。慰霊祭に来ているおバカな右翼にもムカつきつつ。

事務所に戻ると、前々から気になっていた青山のフルーツタルトの店へ向かう。Berry Cafe。もう6年前からここに店があったのだが、隣のバーガー屋には、たまにいっても、気づかなかった。最近、フルーツにはまっている。で、一部の人間は知っているが、オレは、実は、大の洋菓子好き。とりわけ、ケーキ。西麻布のオレお薦めの店には、ベティなど何人か連れていったこともある。

こうした甘い菓子が食えること、それがどれほど、ありがたく、幸せなことか。戦前、戦中、戦後の時代。あるいは、オレたちが子どもだった、高度成長の入り口。こんなものは、見ることも、食うこともできなかった。オレが初めて洋菓子を見たのは、不二家のショートケーキくらいなものだ。

いまでは、すっかり贅沢になって、不二家のケーキなど見向きもしないオレがいる。しかし、そのあがりがたみがわかるから、オレは和菓子でなく、洋菓子に惹かれる。洋菓子には、平和と幸せと、手が届かなかった、西欧への憧れみたいなものがあるからかもしれない。


♪お菓子の好きな パリ娘 二人揃えば いそいそと 角のお店で ボンジュール


確か、エクレアの唄とか、なんとかいったと思う。学生時代付き合っていた彼女が好きな歌だった。彼女はエクレアが好物だった。

彼女は福島の農家の出身。毒舌家のオレが、要領のいいことばかりやっている劇団員を叱るとき、この百姓が!と怒鳴るのを聞いていて、その言葉は、辛いと、文句を言うのでもなく、ポツリといったことがある。その言葉にどきりとした。

2.26事件を決起した、麻布第三連隊、第一連隊の下士官たちは、仙台士官学校で演習訓練を受けている。実践を想定した訓練で、山中に放り出され、そこから各自、福島県会津の温泉宿まで、飲まず食わずでたどりつかなくてはならない。

喉の渇きと飢えで、草の根を食いながら、夜のけもの道をゆくとポツリと農家に光が見える。助かった!と粗末な家の戸をたたき、中に入れてもらう。兵隊さんの訓練と聞いて、中年の夫婦がなけなしの米で粥をつくって、ふるまってくれる。ふと、気づくと家具らしい家具もなく、子どもがいない。どうしたのですか? 若い下士官候補が聞くと、娘は四谷の女郎屋に身売りさせやした…。息子は丁稚奉公に出しやした…。ここにいても食えねぇから、しょうがねぇです。と、うつむきながら語る。下士官候補は、粥を食う手が止まったという。

そこから、また、這うようにして、会津の集結地点にたどりつく。風呂に入り、汗を流し、座敷に行くと、各自、豪華な食事が膳に並んでいる。襖の向こうでは、戦争成金が、芸者を上げて、大騒ぎ、大盤振る舞いをして、笑い声を上げている。厳しい訓練を終えて、目の前に豪華な褒美の食事が並べられながら、下士官候補たちは、だれひとり、そこに箸をつけることができなかった。だれもが、貧農のひどい暮らし、子どもを身売りしなければ生きられない、農民の生活の現実を目の当たりにしていたからだ。襖の向こうで騒ぎたてる成金の声を聞きながら、男たちは、手にした箸を強く握り締め、泣いたという。

2.26事件は、そんな彼らの体験から始まっているのだ。

オレが怒りにまかせ、この百姓が!と叫ぶ言葉に、悪意がないことはわかりながらも、そうした歴史をどこかで刻んでいる彼女は、その言葉に痛みを感じることを、オレに伝えずにはいられなかったのだと思う。以来、オレは、田舎もん!という言い方に変えた。

そして、彼女が好きだったエクレアの唄が耳から離れなくなった。それは、甘いものは贅沢だという家庭に育った東北の女の声だった。痛みをしった人々の声だった。

2.26が提起した問題は、まだ、解決していない。だれもが、エクレアを幸せに、平和と安心の中で口にすることができる社会は、まだ、来ていない。

偶然だった。うちのOA担当のM。先週金曜日結婚退職の挨拶に来た。彼女も福島だった(写真)。幸せになれよ。