秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

おもしろき こともなき世を おもしろく

蒸し風呂のような暑さのせいもあり、このところ、動悸が激しい。

去年の健康診断で、心電図を再度取り直しされ、医者が、首をかしげながら、心筋梗塞心不全狭心症、心臓肥大…。オレの心電図には、その傾向が全部出ているといわれた。そんなことが、果たしてあるのか?

だったら、先生、何か薬とか、通院とかした方がいいのかしら? と問うと、いや、その必要はない。体重を減らし、中性脂肪をコントロールして、半年か1年したら、また心電図とってみましょう、という。さっき、あれほど脅しといて、それ、どういうこと?

数年前にも、同じクリニックの先代の高齢の医者にレントゲンで、心臓肥大の傾向がみられるから、再検査してもらってといわれ、すぐ近くの心臓血管研究所(オレがかって緊急入院した病院。そのときは、胸膜炎)にいき、あれやこれや、いままでやったことのない負荷をかけた検査などやったのだが、異常なし、すごぶる健康と太鼓判を押された。

だから、そのときも、またまた~、と思っていたのだが、外出や運動で、外に出たとき、動き出しに動悸を感じるのは、やはり、血管が詰まっているとか、何がしか支障があるからかしら? 

実は、若い頃から、体調がよくなく、疲労が残って、何か思い悩むようなストレスのあるとき、あるいは、原稿書きが続いて睡眠不足のときなど、普段なら、それくらいの量で動悸がするなんてことはないのに、ジョッキ一杯のビールで、心臓がバクバクすることがあった。少し歩いた程度で、息切れや動悸、めまいに襲われることもある。いまでも、数年に何度か、そうしたことがあり、これはよくないなという予感はしている。

とりわけ、外見も、年齢もそうではないのに、体を締め付けるようなタイトな服が好きで、常に体を圧迫していることもよくない原因の一つなのだ。それに無類の愛煙家。酒は我慢できても、タバコを我慢することができない。

この10年は車をやめ、自転車での移動が大半だから、移動する車の中で、運転のストレスでガツガツタバコを吸っていた頃にくらべたら、タバコの本数は減っている。会議や打ち合わせ、ランチタイムなど、どこでも禁煙になっているから、昔ほど吸う時間もないのだが、いざ、事務所にもどり、PCの前に座ると短時間のうちに、一箱、空になっているということは珍しくない。酒席では、なおのことだ。それでも病気をしてからは、それまで1日100本は吸っていたものが、40本程度に減ってはいる。

心臓は、心の臓器と書くだけあって、ストレスなど精神的な状態と深いむすびつきがある。最近の研究では、記憶は脳の海馬がつかさどっていて、心臓は単に循環器の臓器に過ぎないといわれていたものが、心臓の筋肉のある部分に、脳の海馬と同じ電極反応があるところが発見されている。心臓にも、記憶を蓄積できる機能があるかもしれないといわれ始めているのだ。

心臓移植の事例で、移植された人間が、これまで自分の経験していない記憶を持ったり、その記憶に導かれて、亡くなった臓器提供者の家族と出会うという奇跡まで起きている。

それくらい心臓というのは不可思議な臓器。

現在の高齢化社会の中心にいるのは、戦前、戦中派の人々。彼らは、若い頃の粗食、多動小食の生活で体と心臓を鍛えられていることが、長寿の背景にある。また、実に規則正しい生活をする人が多い。

それに比べ、戦後世代は、豊かさへ向かう中で、戦前、戦中世代とは比べものにならない、体と心の甘やかされ方をしている。さらに、ストレス社会、管理社会、競争社会の中で、心臓も血管もボロボロになっているに違いない。それくらい、欧米並みに心臓疾患でいのちを落とす人間が増えている。

おそらく、何年か後には、この国は、いまのような世界トップの長寿国ではなくなっている。戦後世代が高齢者世代に台頭してくるからだ。

長生きすれば、それでいいというものでもないが、粗食と多動小食を忘れ、規則正しい生活と無縁な中で、心の安定やバランスがとれるはずもなく、それが、昨今の循環器系の疾病や心臓関係の突然死を増やしている背景なのだ。心のイライラは、体にすぐに現われる。

日頃、自転車に乗り、自転車を使わないときは、徒歩を心がけ、体が空けば、ウォーキングやジョギング、ストレッチや筋トレをやっているオレでも、企画や書き物をしている中で、ついつい、体と心に不規則なことを抱えているに違いない。

そんことを考えていたら、ふと、高杉晋作の言葉が浮んだ。

「おもしろき こともなき世を おもしろく」。高杉晋作の辞世の句と一般にいわれているが、実は、死の数年前に晋作が読んだ句。決起盛んな頃の、勢いのある句だ。

おもしろくねぇ、世の中だから、オレがおもしろくしてやろうじゃねぇの! といった感じ。そのために、いのちを削った晋作は、道半ばとはいえ、それはそれで幸せだったに違いない。

その威勢のよさだけでは、すまなくなっているところで、自分のやりたい、おもしろいことをどこまで実現できるか。オレがいのちを削る、削り方は、晋作と違い、工夫がいる。