秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

職人の技

時間も、予算もないのだが、義理ある東映の仕事で、駆け込み仕事をやっている。

今日撮影に入って、納期が6月初旬。その後には、新型インフルエンザで延期になっている大阪の仕事が待っている。新型インフルエンザ騒動はいかがなものかと、この間、書いたが、結果的に、オレにとっては、大騒ぎのおかげで、撮影が延びたことは、幸いだった。延びていなかったら、酒豪編集者Rに読ませる原稿も、まだまだ先が遠かっただろう。

ということで、いつもより更新が遅く、日付が変る今頃、更新になってしまった。最近は、定期的に読んでくれている連中もいるから、ほぼ毎日更新のオレのブログが更新されていないと、カントクは忙しい、落ちている、女遊びをしていると、あらぬ嫌疑や噂の種となる。ので、できるだけ、更新につとめているのだが、さすがに、昨日から今日にかけては、更新する時間がなかった。

結局、酒豪編集者Rに提出する企画書、いや、ほぼダミー原稿のようになってしまった書籍の原案は、当初予定していたところまでは終わらず、奴の注文の要点だけに応える形でメールする結果になった。「企画書ですよね、原稿じゃなく。でも、これって、ほぼ原稿じゃん」というRの突っ込みの声が聞こえているし、それに近いメールももらっている。この企画、オレにしてはめずらしく、どうしても企画書っぽく書けない。ある程度のとこまで、書いておかないと、気持ちが悪いのだ。

かなり論理性を要求される内容だから、論理の網や展開が、後で本原稿にするとき、すぐにわかるようにしておきたくて、Rがいうとおり、ほぼ原稿になっている。企画書の体裁は、Rがうまくやってくれるだろうという甘えもあるが、思い付いたフレーズは、メモをするように、書き込んでおかないと、後が面倒な気がして、やめれらない。頭の隅でいつも考えているから、今日も撮影途中の移動車の中で、重要な語句の誤りに気づく。

しかし、そんなふうに語句の使い方や作品の制作段取りに頭を使っていられるオレは、まだ幸せなのだなと、今日の撮影でつくづく思った。

今回の作品のごく一部でしか使わないのだが、今日、大田区の町工場界隈の撮影に行ってきた。噂に違わず、小さな町工場のシャッターがあちこちで下りている。高度成長期に集団就職で上京し、小さな工場で技術を身に付け、独立して開いた町工場。いろいろ試練はあっても、技術立国日本を底辺で支えてきた中小零細企業の町工場が、この10年の間で、次々と姿を消している。とりわけ、昨年のリーマンショックは大きかった。

ただでさえ、安い価格をさらに叩かれ、それでも仕事を受注し、昼夜を惜しんで、発注元の無理な納期に応え、自分の経験や技術が生かされていることに一類の喜びを感じ、質素な生活の中でも、それを糧にがんばっていたのが、結局、その無償の奉仕に近い仕事を断たれ、工場をたたんでいく。中には、資金繰りに苦しみ、自殺した人もいるという。

日本の中小零細企業の技術力は、いまでもすごい力を持っているのに、それを継承する人材もなく。匠の技は、この国から高齢化社会の波と共に消えようとしているのだ。

きっと、20年前には、まったく違っていただろうと思う大田区の工場街を車窓から眺めながら、そこにかつてあった、人々の若々しい息遣いや町の賑わいを想像していた。

職人的な技術が、これほどないがしろにされている時代は、きっといままでの日本の歴史でもなかったことだと思う。毎日、日々同じことを繰り返し、その同じことの繰り返しの中で、少しでも技能と効率を上げようと努力する。限られた資金と人材、そして、機材の中で、知恵を絞り、工夫を凝らし、無駄に終わるかもしれない努力をいとわない。そんな精神や気構え、気力も、同時に、この国から失われているような気がするのだ。

オレたちのオヤジ世代は、時計でも、電化製品でも、鍋釜、家具でも、家の補修でも、手に負えないレベルまで来ないと、修理に出したり、破棄したりしなかった。そのほとんどを自分の手で直していた。手に負えなくなっても、修理に出せば、すぐに直してくれる職人たちが、町のいたるところにいた。そして、そうした職人たちへの尊敬も深かった。

たった一つの物、生活品を通して、そんなふうに、人とつながっていた。物を大事にする気持ちで人と人が尊敬し合えたり、互いを貴重な存在として、認め合っていたのだ。

そういう絆を失ってしまった、この国に未来はあるのだろうか。未来はあっても、その未来は人にやさしいものなのだろうか。