秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

年老いた一瞬の狙撃兵

制作が2本ブッキングしていたのが、神戸・大阪の新型インフルエンザ騒動で、1本が来月に持ち越された。

そのせいで、ちょい気が抜けたのか、昨日は、どっと疲れが出た。だいぶ前に、酒豪編集者Rから「肩の力を抜いて」と、まるでスポーツコーチのようなメールをもらっていたのだが、ああ、そういうことか、オレは本当にいつも、肩に力を入れて、ガツガツ生活しているのだなと気づく。

だが、わかっていても、止められない。それは、思春期の頃からだ。性分なのか、オレがやっている仕事のせいなのか。獲物や敵の姿、つまり、やりたい、やらなければいけないことが見えてくると、野獣の本能のように、身構え、毛を逆立て、一瞬に賭ける、狙撃兵になってしまう。

以前、オレとテレビプロデューサーの東海林秀文を結びつけた、芸能プロダクションのおばさんにも、いわれた。いつも、力が入っていて、疲れるだろうにと思うわ。もっと、楽に生きればいいのに…。確かに。

オレは物を書くとき、体で書く人間だ。頭の中で文字を追うのではなく、心からほどばしる感情で書く。当然、ドラマだと一人で何人もの役を、実際にやっているように書く。身体言語として書く。だから、体に力が入る。で、現場では、俳優の身体に乗り移る。だから、オレの演出は、役者の生理にとどく。しかし、モニターをのぞいている間中、俳優と同じ呼吸を生きているから、力が入る。

企画やプロデュースをやれば、物を書くだけでなく、戦略や戦術も考える。シュミレーションし、自分のプレゼンパフォーマンスも構築する。人に何事かを伝えるためには、自分が役者にならなくてはいけない。答えや結論がわかっていても、人に語らせてあげなくては、こちらの話は聞いてもらえない。

オレは、若い頃から思っているが、人が人に何事か交渉や話し合いをするのは、剣道に実に似ている。間合い、息、呼吸、タイミング、相手の隙をみつける動物的な勘。意図して、隙をつくり、相手に付け入る隙を与え、それによって相手に隙をつくらせる返し技。相打ちになる寸前、わずか0コンマ何秒先に相手に打ち込む踏み込みの強さ。これは、営業の仕事でも、企画やプロデュースの仕事でも、人を教育する上でも、また、男女の恋でも同じ。

人と人が対峙し、何事かを達成するためには、人の心を読み、動きを読み、かつ、隙をつくれるゆとりがなくていはならない。1対1の戦いは、だから剣道が役に立つ。組み手争いを基本とする柔道では、間合いがないから、それを学べない。集団戦になると、ラグビーのパフォーマンスが実に役に立つ。チームプレーの奥義は、ラグビーにある。ここにも、心を読み、動きを読み、かつ、隙をつくり、返す、切り替えしが有効。

剣道やラグビーのように、気合の中にいなければ、オレのように時間や予算のゆとりのない仕事はこなせないし、その中でクオリティをあげることはできない。集中してことにあたらなければ、何本ものプロジェクトもこなせない。

力が入りすぎると動きが悪くなるが、集中した、ある緊張感の中で、ほのかに力を抜くと、技は驚く程、切れる。それが、どうしてだが、染み付いてしまった。

昨日、無理くり、長い付き合いの撮影会社社長のOを押し切り、秀嶋組の撮影日程を27日に押し込んで、ナレーター事務所、音声スタジオと連絡を取り、6月上旬納品の段取りを付けると、いつも世話になっているプロデューサーのKさんと銀座ランチをし、その足で、大阪撮影の新幹線チケットの解約に走り、事務所に戻った。と、どっと疲れが出た。

よく考えると、前日夜、大阪撮影が延びたことをいいことに、例の懸案の企画書の直しに手をつけ、ほどんど眠れていなかった。自分の世界に入ると、夢中になってしまう。これも性分。あまりの疲れ方に、どうしてだ、と思い返すと、5月連休前からほとんど休んでいなかったことに気づく。付き合いも、酒もなく、よろず相談屋さんもなく、完全休養日というのが一日もない。

女性ボーカル、アッコが書き込みで、カントクの生活は目まぐるしいですね、とあったが、確かに。若い頃のようにはいかないものを、まだまだと坂道を必死にかけあがるように、息切れしながら、まだ狙撃兵をしている。

かつて、資生堂CMで一時代を築き、日本のCMを塗り替えた男がいた。15秒、30秒のテレビCMに命をかけ、最後には自ら死を選んだ。彼の仕事は、まさに、「30秒の狙撃兵」。30秒で、視聴者の心を射抜く。そのタイトルでテレビドラマにもなった。

杉山登志。奴の悲劇は、広告CMと心中したことだ。あの頃、いまのように、CMディレクターが映画に進出できる道筋やハリウッドへの進出への道があったら、奴は死ななくてすんだだろう。

作品への愛がなくなれば、表現者は生きていくよすががない。しかし、作品への愛を生むのは、人への思いや愛だ。人をいとおしいと思う心がなくては、作品への愛もなくなる。

CMディレクター杉山の遺言がそれを語っている。

リッチでないのに、リッチな世界などわかりません。
ハッピーでないのに、ハッピーな世界などわかりません。
夢がないのに、夢を売ることなどは…とても、嘘をついてもばれるものです。

表現者は自分に背いてはならない。他者を背くような作品をつくってはならない。背かなければ、生きていく道がある。なかったとしても、それを信じて、闘い続けるしかないのだ。オレは、30代後半で広告の仕事から足を抜けた。そこには、そんな思いがあったからだ。死なないためだ。

自分に嘘をついてまで、表現者という体裁にこだわるから、この国には、いい作品が生まれない。

年老いた狙撃兵は、だから、今日も坂道を駆け上がる。あたかも、死の直前まで絵を書き続けたルノワールのように。