秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

より道の楽しさ

取り組まなくてはいけない…と思うものが歳とともに増えてしまうというのはどうしてなのだろう。
 
残りの時間が少なくなっているにもかかわらず、年々そうしたものが増えていっているような気がする。
 
劇団をやっていた頃や東宝にいた頃は、ただいい芝居をつくりたい…それだけだった。もちろん、作品を通して、社会や世の中にいいたいことはあってのことだ。だが、演劇という枠からあえて出ようとは思わなかった。
 
それが、CMなど、コマーシャル映像へと仕事が広がり、ビジネスの世界を垣間見ると、ビジネスの世界から変えていく道を探さないと難しいな…と思うようになった。そして、教育や社会問題の作品をやるようになり、映画の世界へと仕事が広がると、まるで当然のように、シンポジウムや記事物の原稿、講演、著作といった、それ以外のものに首をつっこむようになってしまった。
 
それでも、どこかに限界を感じ、いつか自分自身が運動体になっていかなくては何も示せないのでは…といった考えに至ると、当初演劇や映像の世界だけでコトを片付けようとしていたものが、その限界も見えるようになってしまったのだ。
 
といいながら、組織体をつくって慌ただしくなればなるほど、これは映画にしておかなくては…とか、自主作品として社会に提案してなくては…とか、このテーマは小説にこそしなくては…とか、いやいや、こちらは評論本の方がわかりやすい…とか…あれこれ沸いてくるようになってしまったのだ。
 
芝居ひとつやりきるもの大変なことだが、次々に取り組みたくなるものを、たくなるで終わらせないために、結局はいま取り組んでいることに真摯であるしかなくなる…というのがオレの性格。人には、きっとより道をしているように見えるだろうが。
 
いま日本映画の話題作といわれるものに関わっている、長い付き合いの音効のSに昔、いわれたことがある。「秀嶋さんは、ほんとにどんな作品もそつなくこなす。けど、それじゃ、器用貧乏になってしまいますよ。不器用になって、こだわった作品もつくっていいのではないですか」。
 
Sは、オレが本気を出した作品をいくつか一緒にやっている。だから、奴のいわんとするところはよくわかったし、ありがたいと思ったものだ。

オレは何か一つの専門性にこだわるとか、何か一つの輪の中にい続けるということが得意ではないし、好きではなかった。それは、思春期の入り口の小学校の高学年の頃からだったと思う。剣道部にいたが、町道場に通わされ、剣道だけの人のつながりの中にいることが、自分の世界が狭くなるようでいやだった。
 
といいながら、生徒会の役員をやりながら、やはり剣道で学んだことも役に立ったし、いまでも役に立っている。つまり、剣道という世界を別の世界で応用することがおもしろいのだ。演劇に強くひかれたのも、そこに、いろいろな専門性が同居しているからだった。
 
だからだろう。ゆるやかなMOVEのようなつながりが実は心地いい。ゆるやかでは済まないところもあるのだが、演劇がそうであるように、映画がそうなように、一つのことをやり抜くために、いろいろな人間がある期間集中して情熱や思いを注ぐ…という形式が好きなのだ。
 
世は無常。人も、組織も、つながりも、いろいろに変化する。その変化を楽しむ方が、狭い執着にしばられず、いいものを生み出せるような気がしている。もはや、ひとつの専門性や限られたカテゴリーの人の知恵だけで、新しい物事やいい創造物が生み出せる時代でもなくなっている。
 
縛りから自由であれ。そういいながら、あれもこれもという思いを胸に、人からより道と思われることに手間暇をかけている。