秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

突然の女の親孝行

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オレがたまに行く、ミルクレープがめちゃうまい、西麻布の有名ケーキショップでのベティ。

夕方、仕事途中で休憩し、さてさて、今日もひきこもりかと思っていたら、ベティからメール。メールのタイトルで、爆笑!。「突然の女」。まさに、その通り。

ベティが連絡してくるのは、いつも突然。しかも、いきなり今日とか、今夜とかが多い。だが、不思議とオレの仕事の休憩タイムや、なんか今日は乗っていないなぁと、気分変えたいときに、都合よく連絡してくる。微妙にタイミングがいい。だから、突然でも、合わせられる。

見た目とは違い、ひきこもり系で、へこむと家から一歩もでず、人にも会わない、人を避ける一面がある。そんなときは、それではいけないと、奮起して、あえて人に会うようにしているところがある。と、オレは読んでいる。

昨日も前日友人の結婚式があったらしく、人疲れしたのか、人の結婚式を見て、これからの自分の人生を考えたのか、一人暮らし始めた部屋で、今日は家にいようと思いつつ、せっかく一人暮しを始めたのに、ここで、ひきこもっては、実家にいるときと変らないじゃないか! そうだ! 母の日のプレゼントを買いに出かけよう! と急に思い立ったらしい。ならば、銀座に詳しく、以前から、銀ブラしようと話していた、カントクに連絡!となったらしい。

この間のブログ「地方出身者の銀座」を読んでいて、奴はじ~んと来たらしく、どこかに、銀座=カントク=親孝行の三題話が刷り込まれていた。

平日は仕事で帰宅時間はてっぺんに近い。仕事での悩みの種もあるらしく、平日、早く仕事が終わり、一人暮らし始めた部屋に戻れば、ちょい寂しさもある。休日ひとりでいると、心配症の自分の不安が、勝手に大きくなってしまうのが怖い。だから、人と会って、気分を晴らそうとする。だから、ベティが人に会いまくっているときは、そっと仕事のことなど、話題にしてやる。だれかに聞いてもらいたいことがあるときだからだ。明るくしているが、昨日も実は、元気がほしかったに違いない。で…。

人は困難と試練の中で愛を知るのだ。

辛い物を食べて、辛さに涙が出ても、本当の辛さは、スッといずれ消える。そのハードルを越えなければ、辛さの向こうにある、人生のおいしさ、深い味わいにたどりつけはしない。

きっとやれる。大丈夫。Yes,I can! そう思う気持ち、物事はうまくいくと確信する、その深さにおいて、人は困難を乗り越えられる。夢を実現できるのだ。

上司の言いなりサラリーマンでなく、同僚や下請けやお客さまのために、闘うサラリーマンたれ!

と、ベティが、あいだみつお風に、秀嶋語録の日めくりつくったら、買います! 営業します!という言葉を並べて励ます。

そんな話を、一生懸命聞いているベティの表情をみながら、思った。

親に自分の悩みを子どもは、なかなかいえない。親は、どこかで、明るく、元気な子でいて欲しいと思っている。それに応えて、あげたい。普通、子どもはだれもがそう思う。心にいろいろな重荷を抱えていても、だから、大丈夫、元気!と演技する。親に心配をかけたくない。悲しませたくない。その思いが強いからだ。

たとえば、いじめなどで、どうして身近な親に相談しなかったのか。と、バカなことをいう大人がいるが、いじめられていると知ったら、みんなから嫌われている子なのかと、親がショックを受けるのがわかっている。だから、いえないのだ。そんな簡単なことが、わかっていないバカ親、バカ教育者が多すぎる。

子どもは、親が思う以上に、親を愛している。だから、親に喜んでもらいたい、親の期待するいい子でいようとがんばってしまうのだ。それが、無碍(むげ)にされるから、愛しているのに、ひどい言葉や行動になってしまう。心が表に出る方は、まだいいが、多くは、親も知らない、親に見えないところで、自分を傷つけている。親に愛されない苦しさ。親のために、明るく、いい子を演技し続けることが、どれほど苦しく、せつないことか、わからない親が多い。

気をつけていれば、ちょっとした言葉の端々や、ちょっとしたしぐさ、表情で、わかる。そのとき、グサりと非難するような言葉をかけず、遠まわしに、さりげなく声をかけてあげれば、子どもも救われるものを…。

ベティは一人暮しを始めて、家族や親のありがたさを感じているに違いない。もういい大人になって、親に心配をかける自分ではいけないと一人暮しも始め、がんばっている。ある年齢になると、親にいえないだけでなく、親に話しても、わからない、伝えられない仕事の悩み、プライベートな悩みも出てくる。親ができるのは、それを遠くで見守るか、何かあったときに、抱き締めてやるくらい。

家にいるだけの、夫と子どものためにだけの人生を生きてきた母親であれば、なお、多くのことを語り、伝えようとしても、それができない。子どもにすれば、ちょっとしたことでも、やさしい言葉ひとつ、ささやかなプレゼントひとつで、母親は、ほんとうに嬉しそうに笑ってくれる。そんな無垢(むく)な幼子のような母親の姿は、子どもの心をえぐる。

自立しなくてはと、だから、心にいろいろな思いを持ちながら、もがくのだ。しかし、これもまた、子どもが思うほど、親は弱くはない。社会や世間のことを知らなくても、母親が子どもを思う気持ちは、子どもが思うより深い。気の利いたことはいえなくても、子どもの苦しみが全部はわからなくても、大丈夫よと抱き締めることはできるのだ。その温かさ、温もりを与えられることが、また、親の幸せであることもある。まだ、自分は、この子にとって、母親でいられるという喜びを感じることができる。

もちろん、母親も子どもの痛みがわかれば、つらい。しかし、そのつらさの痛みを一緒に感じられる温もりの中に、また、親子であることの喜び、大切さを実感することもできるのだ。

おふくろが亡くなる一週間前、これが最後になると、おふくろの手を握ったとき、オレは思わず、おふくろの手を両手に握り締め、自分の額に押し当てていた。オレの手を握り返す、おふくろの手は、あたたかく、握り返す力は、驚くほどしっかりしていた。「さようなら、お母さん…」オレは心でそう伝え、「あんたのこと、いつまでも大事に思っとうけんね…」とおふくろは、心で語っていた。

心配をかけつづけた、バカ息子にそれがしてやれることが、おふくろの幸せだったと思う。仕事の詳しいことはわからなくても、心配し続けることで、おふくろは、亡くなるまで、オレのおふくろだった。

フェンディのサングラス、かあちゃんに渡すときは、そんな親心に、少しは甘えろ、ベティ。