秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ご意見番の結婚式

連休中は、バカンスを楽しむ人ばかりでなく、この時期、結婚式を挙げる人が多いらしい。

オレたちが若かった頃は、連休中などに結婚式をやると、来る人たちに、家族や恋人とのいろいろな予定があるだろうからと、この時期は、結婚式を控えていたようなところがある。それが、最近では、連休中は逆に、時間を割いてもらうのは、都合がいいと、人気らしい。

実は、オレは、みんなが結婚式をが避けている時代に、この時期、あえて結婚式を挙げた。その意味で、この時期が互いに一番都合がいいだろうというオレの勝手な思い込みは、時代を先取りしたいたかもしれない。だが、実のところは、オレがまだ劇団をやりながら、準社員のようなバイトをやっていて、時間がなかったことと、地元の福岡ではなく、東京で式を挙げることにしたから、福岡から来る、親戚縁者の都合も考えてのことだった。

福岡でやる気は、鼻っからなかった。いや、そもそも結婚式すらやりたくなかった。若かったオレは、結婚式なんで、虚栄と欺瞞に満ちていると確信していたからだ。いまでもその気持ちがある。人の結婚式にもいろいろ出たが、お決まりの式次第に、お決まりの祝辞、そして、同級生仲間や職場仲間の余興に、
ときおり、オヤジやジジイが特技の古典芸能や趣味の芸などを披露し、最後は、両親への感謝と涙で終わる。

おめでとう、よかったな、しあわせに。そんな気持ちがないわけではない。しかし、結婚式なんて、始まりに過ぎない。これからの生活をどう生きるかが大事で、式それ自体に何の意味がある。そんな金があったら、結婚する二人のためにご祝儀だけ渡し、彼らのこれからの生活支援をしてあげるだけの方が、よほど、心がこもっている。親や親族の見栄や体裁が交差し、世間の評価を期待する式のあり方に、いまでも疑問がある。

大して縁もないのに、政治家や会社の社長や社会的に地位のある奴をドンと中心に据えて、親戚の席順や挨拶の順番に気をもむ。実にくだらない。結婚式を普通にやった連中はわかると思うが、ま、だったら、もう結婚なんてしなくてもいい!と、言い出したくなるくらい、面倒くさい。

オレは、両方の親たちに押し切られ、やむなく式を挙げることにはしたが、だったら、ありがちな結婚式はしない。オレのやりたいようにやると、仲人と主賓は親の仕事関係やオレのバイト関係で世話になっている人ではなく、学生時代世話になったW大の英文科の教授に頼み、式も母校W大の記念会館にした。式次第も、進行台本も自分で書き、ありがちなキャンドルサービスなど、ちゃらいのは全部排除。つまり、脚本と演出を自分でやったのだ。

しかし、結婚式というのはよくできている。常識通りにやらないとなると、それはそれは、より面倒くさい。いちいち、式場や関係者に、その意図を説明し、相手がこっちの方がよいのでは、という抵抗と闘わなくてはならない。まるで、映画をつくるのに、撮影所の常識を越えようとすると、めちゃ面倒くさいように。

決まりきったことを、決まり通りにやる。結婚式はそれが前提になっている。しかし、その闘いをやりながら、オレは気づいた。決まり通りにやるだけでも、結婚式をやめたくなるくらい、面倒だ。それが、常識を越えようとすると、もっと面倒になる。いずれにしても、結婚式は面倒くさくできている。これには、理由がある。と気づいたのだ。

つまり、若い二人が、いちゃついて、自分たちだけのことを考えているレベルの付き合いなら、バカップルのままでいい。周囲の縛りもないから、軽薄な恋愛でもいいし、内実のない、やりたいだけの関係でもいい。しかし、それでは、いつもまでも、まともな大人にはなれない。二人の関係を縛るものがない。少なくとも、自分たちが他者との関係でしか生きられないという現実を、強く自覚させなければ、二人の世界で完結し、結婚したあとの、支援も成長もえられない。

そこで、結婚式という学習の場、社会人、大人になるためのハードルを設けている。この面倒くさいことをやりきれる力がなければ、社会はお前らを認めないぞ、認められる洗礼として、これを乗り越えよという、作法と流儀を学習する場なのだ。いちゃついてる、バカップルを大人にする知恵だ。それがあればこそ、離婚だってあるのだ。一応、がんばったという基軸ができる。縛りもなく、くっついたり、離れたり
しているのは、まだ、ガキのやること。それを教えている。

なるほどなと、感心した。合点がいった。いまでも、オレは、世の中の常識を否定して生きているが、ただ否定しているのではない。そうした常識の知恵のよきところを理解して、否定している。やみくもに、常識を否定する社会を許してきたことが、このあんぽんたんな日本を生んでいる。また、同時に、常識通りにやれば、無難だという、言うなりアホ、ちゃらいカップルを量産もしているのだ。

先週、秀嶋組のご意見番女史と自他共に認める、土佐の女、ヘアメイクのHから電話があった。前々から結婚することは聞いていたが、忙しさにかまけ、また、オレへの遠慮もあり、式場と日時を連絡してこない。やっと連絡してきたと思ったら、式の一週間前。実は、今日が奴の結婚式。

やはり、オレと同じでワーカーホリックな奴は、サロンで18人もスタッフをつかい、テレビ・映画・コマーシャルと休む間もなく働いている。2日まで仕事なんですという奴に、おまえ、準備大丈夫なのか?と訊くと、同じことを言う。「カントク、私、もう結婚式止めようかとキレかかってます!」。

で、ひとくさり、オレが感じていたことを話す。奴も、やってみて実感したらしい。でも、それを実感して、オレと同じく、仕切り屋の奴は、全部ひとりでこなしている。やはり、オレが見込んだ土佐の女だ。

土佐の女は、気が強いが、人への配慮が深い。ほんとは、式をやる三重県の伊勢まで来て欲しかっただろう。だが、オレが、年中暇なしの生活を送り、仕事以外で遠出しないことを知っている。連休前で、オレもバタバタしていたのだが、宴会場やら、地元の花屋に連絡し、ご祝儀の代わりに、その分の花を手配し、電報を送る。

秀嶋組にも連絡し、戻ってきたら、軽い宴席をつくってやろう。それは結婚祝いではなく、あいつのお疲れさん会。あんな気の強い土佐の女を嫁にした、気骨のある男を肴にし、慰労してやろう。

お嬢さんの家に生まれながら、バブルでオヤジの会社が倒産し、その負債を長女の奴は、返済するために技術をつけようと、地元で美容室をやっている母親を見習い、ヘアメイクの仕事に入った。わずか25歳で独立し、六本木にサロンを持ち、業界の仕事を請け、5年間必死に返済のために働き尽く。倒産したオヤジは女をつくって、離婚し、また、その女にも捨てられて、一人暮しになった。その親父も式に呼んだらしい。たいした女だ。気骨のあるのは、男女に関係ない。いや、いまの時代、女の方が、はるかに気骨がある。

そんな気骨のある女が、秀嶋組の金にならない仕事に付き合ってくれている。サロンの弟子を連れて、乃木坂での事務所飲み会に、遅くなっても顔を出す。なんの得にもならないことを、金で苦労し、金に厳しいHが付き合っている。

オレがうちの作品に自信があるのは、秀嶋組にそんな心根のある奴がたくさんいてくれるからだ。

Hよ。心から。おめでとう。