秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

情報操作の点と線

新型インフルエンザの発生で、国会の追加補正予算の審議など、他の話題がかすんでいる。

リーマンショック直後は、おろおろする政府の対応への不満や、これまで鬱積していた自公独裁政権後だしジャンケン政治にイラついていた浮動層が、クリントンの訪日後、小沢がアメリカに刺され、西松建設問題で、反転した。

前にも述べたが、どうして民主だけなのだ。西松問題で逮捕、起訴までもっていかれたのは、小沢秘書だけ。二階も、森も、自民党のだれも、結局、検察からの圧力を受けていない。

折りしも、いいところで、北朝鮮テポドン発射があり、人々の記憶には、小沢秘書逮捕の情報しか、頭に残らない。結果、麻生のポイントは上昇し、民主のポイントが下がった。

そうなってくると、これまで、おバカを露呈していた麻生が、だれにいわれたのか、だれの指示なのか、内閣官房や官僚が用意した原稿を、ニヤつきもせず、真顔で淡々としゃべるようになった。まちがないく、だれかが、「総理。いっちゃわるいが、あのニヤ付いた顔は、下品でっせ。国民、とりわけ浮動票層に、嫌われてまっせ。どうでっしゃろ、選挙に勝つまでは、生意気な口の利き方とあのニヤ付き顔、やめたらどないです? そうしてくれんと、うちら、やりとうないことも、やらなあかんようになるんですけどなぁ…」みたいなことを、耳元でささやいた奴がいる。

一番効果的だったのは、批判をものともせず、愚かな大衆に定額給付金と高速道路1000円の飴をばらまき、かつ、総額15兆円近い、予算、追加経済政策を3つも立て続けにやったことだ。それだけで、国民が
ま、いいか…。となることを読んでいる。もちろん、それを読んでいるのは、麻生ではない。麻生を裏であやつっている、だれかだが。でなければ、麻生が、定額給付金を自分が受け取るかどうかで、あれだけ、ぶれるわけがない。

そこに、今度は、新型インフルエンザだ。この煙幕効果はすごい。そこを、権力を影で操る奴らは見逃さない。というか、メキシコ発新型インフルエンザなど、だれも警戒していなかった。ほとんどの関心は鳥インフルエンザ。それも奇妙なことに、メキシコだけで大量の死者が出ている。これって、おかしくねぇ。とかんぐるのは、オレだけだろうか。だれかが、仕込んだのではないかと疑いたくなる。

結局、追加経済政策の補正予算の国会審議も、その他の注目すべき話題や事件も、かすんでいる。

総額15兆円近い予算は、ばら撒きなのは、明らかだし、金を湯水のように、経済政策という美名で関係官庁につっこめば、またぞろ既得権益においしい思いをする奴ら、その甘い汁に群がる奴らが出てくる。公務員制度改革や省庁の無駄遣いの検証など、ないがしろにして、金ばかりつぎ込んでも、それを運用する人間が腐っていては、まともな金の使われ方はしない。それらは、オレたちが、ヒーヒーいいながら払っている税金だ。そして、衆議院選挙が終われば、まちがいないく、消費税の増税が待っている。

こんな簡単なことが、日本の国民にはわらかない。西松もそうだが、人心を操作し、おいしいところをかっさらい、うまいことやろうとしている奴らが、この国にはいる。それに乗せられて、この簡単な構図も
見抜けない、おバカ国民のことなど、心配するに値しないのだが、オレは、独裁政権もキライだし、人の弱味につけこんで、その心をもてあそぶようなやり方で、おいしいところ持っていくような奴らは、許せない。それは、人として、男としての、オレの作法と流儀だ。

それを許す大人にはなりなたくない。それを許せば、自分の息子にも、オレが仕事で出会う子どもたちにも、何が正しく、何がまちがいなのかを語れない。自信と誇りを持って、奴らと顔を合わせられない。また、そうした国のあり方、国の愚策に翻弄され、辛酸をなめさせられている人たちの声や涙、苦渋をしれば、ほっては置けない。それが、まともな人の感情、心根というものだ。

どうも、何かおかしい。そうは思わないだろうか。しかも、それに気づいている人は、決して少なくないと思う。

西松事件でも、検察の動きが偏りすぎ、この間の草なぎ剛の公然わいせつでの検察の動きも、どこかおかしい。人眼にさらすような派手な捜査。深く疑えば、検察がだれかの指示で、ジャニーズ事務所に脅しをかけているとも思えなくない。「これ以上、オレたちに逆らうと、どうなるか、わかったよな」みたいな顔が浮ぶのだ。

で、昨日の松竹芸能所属の北野誠の無期限謹慎の謝罪会見。

これって、どういうこと?と、オレなどは思ってしまう。

北野は以前から、学会会員の芸能人に対しては毒舌を吐いていた。現在の芸能界に、学会が隠然たる勢力を持つことは、マスコミ関係者も多くの大衆も知っている自明の事実だ。そのこと自体は、格段問題にすることではない。が、しかし、その力がないと芸能界で生きていけないというような、圧力になっているとしたら、それは問題だろう。たとえば、あなたも会員になりなさいよ、といわれ、イヤだ、学会は嫌いだからといったら、冷たくされる、バカにされる、仕事でからんでもらえない、というようなことがあったとしたらだ。ヤクザの力を借りて、芸能プロダクションをやるのとはわけが違う。何といっても、一応、宗教団体なのだ。人の救済をすべき団体が、そんな排他的なことやっては、本来の宗教精神、倫理にも劣るだろう。それは非難する奴がいて当然。この国には、表現の自由というのがあるのだ。

しかも、その事情や圧力があったかどうかについて、一切、会見で述べていない。記者がつっこんでも、
松竹芸能の社長は語らない。記者はいいことをいっていた。「表現の自由があるのに、その主張もせず、自己規制して、批判した内容について語らない、語れないというのは、おかしくないか」。その通りだ。

芸能界を自ら辞さなければいけないかもしれないような事態なら、そこをはっきりさせなくてどうするのだ。まして、それが学会系の芸能人の問題と関係があるなら、なおそうだろう。個人的にオレは、北野は好きではない。奴にオレがヤナこといわれたら、そりゃ、ムカつく。だが、オレは、それを奴にしっかりぶつける。何かの力を借りて、葬り去るようなことはしない。

今朝の朝ズバを見ていたら、みのもんだが、問題の本質にはまったくふれず、仕事がなかったら、土方してでも家族を喰わせるくらいのことするのが男だろ、みなたいな的はずれなことをいって、北野を批判している。問題のすり替えを、国民的なアンカーマンや平然とやっている。定額給付金問題やその他の政治的話題では、威勢のいい毒を吐きながら、北野問題では、さらりと一言いって終わり。みのもんたも、学会と何か癒着があるのかと疑いたくなる。あるいは、その怖さを知っての自己規制か。だったら、政治に毒舌吐いてんじゃねぇよ、といいたくもなる。

最高裁裁判所の判断にも 不可思議なことが続いている。和歌山毒入りカレー事件、状況証拠だけで、死刑? 10年前なら、無期懲役がいいところ。1・2審で、有罪だった、痴漢行為をやった防衛医大の教授が、最高裁で、逆転無罪? 小学校の教師の子どもへの体罰が、これも、1・2審で賠償命令が出ていたのが、最高裁で無罪?

学会は、政治においても、文民官僚においても、防衛官僚においても、司法界においても、教育界においても、芸能界においても、常に戦略的に人を送り込み、育ててきた。最高裁判所の裁判官を全員学会会員で占めるという豪語したという風聞もある。憲法政教分離に反する公明党問題は別にして、それ以外は宗教の自由、信仰の自由の問題なのだから、咎められるべきことではない。その立場や権力を利用した、情報操作や判断基準に学会への偏りがなければだ。また、そうした批判があったときに、圧力でなく、話し合いで問題と向き合う姿勢があればだ。

が、しかしだ。

政治の舞台における、人心の情報操作。警察、検察など司直の偏った捜査権の乱用。マスコミの北朝鮮テポドン発射への異常な加熱報道。最高裁で、あきらかにこれまでの判例を無視した判決。防衛大教授や小学校教師の逆転無罪判決。新型インフルエンザの発生の奇妙なタイミングと発生のあり方への疑問。そして、草なぎ剛の公然わいせつ事件、今回の北野の圧力としか思えない、自主自粛のあり方…。それが、人が深く物を考えられない、うきうきした連休直前から連休中に、起きている。

これらの点を線で結ぶと、ひとつの姿が見えてくるのは、オレだけなのか。

考え過ぎ、読み過ぎといわれたら、それまでのことだが、かつて、この国が、戦争に進んでいったとき、
戦争をすることで、大きな利権を得ていた奴らがいた。時代が戦争へと向かい過程で生まれた、批判や批評はことごとく、見えない圧力に抹殺されてきた。人も闇の中に殺された。戦争をどうしてとめられなかったのか。それは、そこでまで、圧力が大きくなる前に、疑問を疑問としなかったからだ。

これって、おかしくねぇ? ボンヤリした疑問でも、その感覚をなくしたとき、国、社会は、見えない力の支配に置かれてしまう。あの間違いを、もう二度としていはならない。

疑問があったら、声を上げる。その声をも、疑問を抱くことも、許されなくなったら、その感覚をなくしてしまったら、自分のいまも、子どもや友人たちの未来も失いかねないという危機感を持ち続けることだ。

オレの知人、友人には学会会員も多い。みんないい人だ。宗教の話になれば、議論にもなるが、生活者が日々抱えている悩みに違いはない。だからこそ、語り合い、受け入れ合うことだ。

そう。この国には、言論の自由、そして、表現の自由憲法で保障されている。