戒めの五十肩
このところ 5月リリースの教育作品の仕上げ作業のため 外出する以外
ほとんど ひきこもり状態が続いている
オレの仕事は 企画書やシノプシス(あらすじ原稿) テスト稿の小説や脚本 台本がないと
始まらない
仕事で人に会うにしても そうした資料がないと具体的な提案ができないからだ
ブレストは 最近 ランチ打ち合わせですませることが多いし 飲み会でまとめるということが
ほとんどだが そうした中で芽生えた ネタは それだけでは形にならない
形にするために 空いている時間があれば コツコツ セッセと それを具体化するための
資料をつくる
よく オレの仕事は いつが休みですか と聞かれることがある
具体的に仕事に入り 本書き 撮影 編集などなど 形にするための具体的な作業以外
サラリーマンと違い 休もうと思えば休めるのだが 具体的な仕事にする なる以前に
そうした 仕込み いわば営業ための 準備作業が必要なので 実際に 金になる仕事以外の時間も
そのための仕事をしていて 正確にいえば 休みはない
だから 撮影や講演など仕事以外で どこか海外や地方に行くこともないし
2日も3日も休んで旅行するということもない
その時間があれば 書き上げたい原稿がいくつもあるからだ
ただ 人に誘われ飲みにいったり 自分から人を誘って
メシや芝居や映画 コンサートなどに出かけることは多い
気分転換の意味もあるが 人と会い 会話をし 気になっている他人の作品を観る
聴くことは 自分の仕事のためという一面もあるので惜しまない 日数をとられないからだ
いまは 酒豪編集者のRに 再提出する本の企画書にかかり切りになっている
その合間に 20日〆切りの短い原稿を上げなくてはならず 否応なく ひきこもるしかない
不思議なもので 書き物を始めると 運動がしたくなる
事務所の中で ずっとひとりで 仕事をしていると あれこれ やらなければならないこと
これからの自分の仕事のことなどに 圧倒され 頭がコンフューズし 不安に駆られ
目の前の原稿が 進まなくなる癖がある
簡単にいえば 気ばかりあせって 手に付かない状態
体も動かさず そんな状態になると 血流も悪いから 物事をいい方に考えられなくなる
心が弱い そんな経験を これまで何度も味わっているので 最近は とにかく やばいと思ったら
すぐに 運動する
運動で汗を流すと あれこれ悩んでいたことや不安が一旦 リセットされ 外気にふれることで
気分も変る しかも メタボの騎士のオレには ダイエットにいい
だから この数日間は 運動と原稿書きの日々が続いている
しばらく 運動を休んでいたせいもあるが すぐに息が上がり 思うようにかんばれない
自分の体の衰えを実感する
40歳前後で 遠視が始まったとき 小さい文字が遠くに離さないと読めない現実に
すごいショックを受けた
丁度 40肩になった頃で オレもとうとう…
と老いへの入り口に 差し掛かったのだと 思ったものの
40肩は わずか数週間で回復 まだ やれるぞと 愚かにも めちゃくちゃ仕事も 遊びもやって
救急車で運ばれる事態になってしまった。
30代の頃のようには いかないものを まだまだとがんばってしまう愚か者だったのだ。
若い頃 人は あれもこれもやりたいと思う また できるかもしれないという時間もある
だから なにがしか生きる目標や願いがあれば かなり強引に 時には人を押しのけ 傷つけ
それをやろうとする が しかし いつまでも それができればいいが そうはいかない
そのための心の準備が 早ければ早いほど 実は その後の人生は うまくいく といまのオレは思う
40歳に男子の厄年がくるのは 意味がある 40肩になるのも 遠視が進むのも 意味がある
1月の後半に 50肩になって いま オレは 体調的には それにちょい悩まされている
しかし そこにも きっと意味があるだ 運動すると それに気づける
自分が若かった頃 身近にいた先輩や上司に立て付き 立て付くからには責任をとろうと
必死だった だから 自分をここまで世話をしてくれ こんな身勝手なオレのわがままな仕事を
許し オレがオレらしく仕事をするスタイルをつくらせてくれた 年上の連中への敬意が
全然なかった 切れるような仕事をするのが何より大事で それを形にしてくれた 彼らへの
感謝がなかったのだ
40肩 50肩ばかりではないが 人が体調の変化を強く感じようにできているのは そのことへの
気づきをもたせるという意味があるのだ と思う
若い自分は 知らなかった 衰えや体の痛みを抱えながら が しかし 若いオレに付き合い
オレの考えや意見を取り入れくれた 年上の人たちの思いを感じるためなのだ
そして 同じように 衰えと痛みを抱えて そうした恩を受けてきたオレが いま 何をしなくては
いけないのか
これからを どう生きていかなければいけないかを 教えてくれているのだと思う
それは 老いが始まった父や母に 自分がどう接してきていたかも 考えさせてくれる
そして オレは思う
いたわりが大事なのではなく オレが 奴らに期待させ 信頼された オレらしい仕事を そうした
老いの入り口を実感した中で やり続け 若かった頃の自分の人間的な未熟さを知った上で
よりいい仕事をすることなのだ その仕事の深さによって 彼らへの恩を返すことなのだ
それは しゃにむに ただがんばることでなく あの頃の未熟さを実感した中で できる仕事を
やることなのだ
人は 若い頃 深い愛を つい見過ごす
しかし いつか その深い愛に気づかされるようにできている
自戒を込めて そう思う
ほとんど ひきこもり状態が続いている
オレの仕事は 企画書やシノプシス(あらすじ原稿) テスト稿の小説や脚本 台本がないと
始まらない
仕事で人に会うにしても そうした資料がないと具体的な提案ができないからだ
ブレストは 最近 ランチ打ち合わせですませることが多いし 飲み会でまとめるということが
ほとんどだが そうした中で芽生えた ネタは それだけでは形にならない
形にするために 空いている時間があれば コツコツ セッセと それを具体化するための
資料をつくる
よく オレの仕事は いつが休みですか と聞かれることがある
具体的に仕事に入り 本書き 撮影 編集などなど 形にするための具体的な作業以外
サラリーマンと違い 休もうと思えば休めるのだが 具体的な仕事にする なる以前に
そうした 仕込み いわば営業ための 準備作業が必要なので 実際に 金になる仕事以外の時間も
そのための仕事をしていて 正確にいえば 休みはない
だから 撮影や講演など仕事以外で どこか海外や地方に行くこともないし
2日も3日も休んで旅行するということもない
その時間があれば 書き上げたい原稿がいくつもあるからだ
ただ 人に誘われ飲みにいったり 自分から人を誘って
メシや芝居や映画 コンサートなどに出かけることは多い
気分転換の意味もあるが 人と会い 会話をし 気になっている他人の作品を観る
聴くことは 自分の仕事のためという一面もあるので惜しまない 日数をとられないからだ
いまは 酒豪編集者のRに 再提出する本の企画書にかかり切りになっている
その合間に 20日〆切りの短い原稿を上げなくてはならず 否応なく ひきこもるしかない
不思議なもので 書き物を始めると 運動がしたくなる
事務所の中で ずっとひとりで 仕事をしていると あれこれ やらなければならないこと
これからの自分の仕事のことなどに 圧倒され 頭がコンフューズし 不安に駆られ
目の前の原稿が 進まなくなる癖がある
簡単にいえば 気ばかりあせって 手に付かない状態
体も動かさず そんな状態になると 血流も悪いから 物事をいい方に考えられなくなる
心が弱い そんな経験を これまで何度も味わっているので 最近は とにかく やばいと思ったら
すぐに 運動する
運動で汗を流すと あれこれ悩んでいたことや不安が一旦 リセットされ 外気にふれることで
気分も変る しかも メタボの騎士のオレには ダイエットにいい
だから この数日間は 運動と原稿書きの日々が続いている
しばらく 運動を休んでいたせいもあるが すぐに息が上がり 思うようにかんばれない
自分の体の衰えを実感する
40歳前後で 遠視が始まったとき 小さい文字が遠くに離さないと読めない現実に
すごいショックを受けた
丁度 40肩になった頃で オレもとうとう…
と老いへの入り口に 差し掛かったのだと 思ったものの
40肩は わずか数週間で回復 まだ やれるぞと 愚かにも めちゃくちゃ仕事も 遊びもやって
救急車で運ばれる事態になってしまった。
30代の頃のようには いかないものを まだまだとがんばってしまう愚か者だったのだ。
若い頃 人は あれもこれもやりたいと思う また できるかもしれないという時間もある
だから なにがしか生きる目標や願いがあれば かなり強引に 時には人を押しのけ 傷つけ
それをやろうとする が しかし いつまでも それができればいいが そうはいかない
そのための心の準備が 早ければ早いほど 実は その後の人生は うまくいく といまのオレは思う
40歳に男子の厄年がくるのは 意味がある 40肩になるのも 遠視が進むのも 意味がある
1月の後半に 50肩になって いま オレは 体調的には それにちょい悩まされている
しかし そこにも きっと意味があるだ 運動すると それに気づける
自分が若かった頃 身近にいた先輩や上司に立て付き 立て付くからには責任をとろうと
必死だった だから 自分をここまで世話をしてくれ こんな身勝手なオレのわがままな仕事を
許し オレがオレらしく仕事をするスタイルをつくらせてくれた 年上の連中への敬意が
全然なかった 切れるような仕事をするのが何より大事で それを形にしてくれた 彼らへの
感謝がなかったのだ
40肩 50肩ばかりではないが 人が体調の変化を強く感じようにできているのは そのことへの
気づきをもたせるという意味があるのだ と思う
若い自分は 知らなかった 衰えや体の痛みを抱えながら が しかし 若いオレに付き合い
オレの考えや意見を取り入れくれた 年上の人たちの思いを感じるためなのだ
そして 同じように 衰えと痛みを抱えて そうした恩を受けてきたオレが いま 何をしなくては
いけないのか
これからを どう生きていかなければいけないかを 教えてくれているのだと思う
それは 老いが始まった父や母に 自分がどう接してきていたかも 考えさせてくれる
そして オレは思う
いたわりが大事なのではなく オレが 奴らに期待させ 信頼された オレらしい仕事を そうした
老いの入り口を実感した中で やり続け 若かった頃の自分の人間的な未熟さを知った上で
よりいい仕事をすることなのだ その仕事の深さによって 彼らへの恩を返すことなのだ
それは しゃにむに ただがんばることでなく あの頃の未熟さを実感した中で できる仕事を
やることなのだ
人は 若い頃 深い愛を つい見過ごす
しかし いつか その深い愛に気づかされるようにできている
自戒を込めて そう思う