内省する秋
あれよあれよという間に、今年もお歳暮の季節が始まってしまった。
銀座、日本橋のデパートはお歳暮商戦の出陣式。低迷するデパート業界は必死だ。コンビニの売上げも落ち、常連に向けたポイントカードなど囲い込みを始めている。
基本、年賀状やお中元、お歳暮といった類の儀礼は、好きではない。十年近く前までは、それをこまめにこなすことで、人間関係を結ぼうともしたし、袋をいくつも車のバックシートに積んで、あちこち営業の挨拶回りなどしていた時期もあった。
いまでは、ごくわずかの限られたところにしか、挨拶にはいかないし、時候にあわせるということもなくなった。折々の状況に合わせ、時間も無理をしないところで、顔を出すようにしている。
そうした営業をしたからといって、仕事が生まれたりする経済状況ではなくなっている。現実に接待交際費は削られ、昔のような飲食をして、交遊を結び、仕事にするなどという場面は激減している。
ただし、出産や快気祝い、入院のお見舞い、結婚祝い、誕生祝、公演祝いといった、祝い事は、何かと心を砕くようにしている。ただ、それも限られた知り合いや友人、仕事でお世話になっている方だけだ。
本当は、そうしたことではいけないのだろうが、見栄や体裁のために虚勢を張り、形式や見かけをつくろっても、どこかで背伸びをしたり、無理をしているような気になって、返って、心が疲れ、やせる。自分は何を目指し、何をしようとしていのかが、わからなくなる。
かつて世話になった方やいろいろと心労をかけた方に、気持ちばかりの歳時の挨拶をするのは大切なことだし、感謝の気持ちをそうした形式を通して、伝えるという心配りは、日本人の美徳でもある。それを疎かにするようなことをすれば、人との縁や絆が失われてしまうという気持ちはあるが、それなら、もっと、オレらしい形でできないかと、常々思っているのだ。
オレの立場からすれば、それは、作品であるし、舞台、書き物でしかない。つまりは、仕事で恩返しをするということ。
だから、仕事が思うように運ばないと、なんだか、不義理をしているような、怠慢のような、罪の意識にかられる。もっと努力しなくては、がんばらなくてはと自分を自分で叱咤する。なにせ、普段の人間性がいい加減だから、仕事くらいでしか、まともな人間らしいことができない奴なのだ。
だだ、書き物などをしていると、これが微妙にプレッシャーになる。思うように原稿が進まないと落ち込む。
映画の秀嶋組の連中や舞台の秀嶋組の仲間で、近しい人間は知っているが、オレは、原稿が上がるまでは、実に弱々しい。闘う武器がないからだ。自分には、どうして才能がないのだと、コンプレックスにさいなまれる。ところが、原稿が上がると、こんなすごい作品はないと、自分は天才じゃないかと、自信満々になる。
それだけ、起伏が激しい。ある意味、実に危ういところで作品を考えたり、つくったりしている。
この間、内田に芝居をつけて、帰りに地下鉄の駅まで送っていたら、奴め、おもしろいことをいった。
「監督は、青山界隈で暮らしているうちは、死なないと思うけど、大好きな江ノ島や湘南の当たりに住むようになったら、死ぬような気がします…」
ちょい、どきりとした。というか、こいつ、だんだんオレのことがわかってきていると思って、驚いた。オレの罵詈雑言に、いつもは凹んでいるくせに。
実は、一年ふりに会ったNorikoにも似たようなことをいわれていた。「湘南とかにいったら、ぜったい老けるし、気力もなくなるよ」
その通り。それでいながら、いつか海の見るところで生活したいなどと考えている。結構、海の近くでのオレの生活は、いけてると思うのだれど、なぜか、反対者が多い。
さてさて、どうしたものか。年老いたオヤジのこともあり、あれこれ内省する秋。
銀座、日本橋のデパートはお歳暮商戦の出陣式。低迷するデパート業界は必死だ。コンビニの売上げも落ち、常連に向けたポイントカードなど囲い込みを始めている。
基本、年賀状やお中元、お歳暮といった類の儀礼は、好きではない。十年近く前までは、それをこまめにこなすことで、人間関係を結ぼうともしたし、袋をいくつも車のバックシートに積んで、あちこち営業の挨拶回りなどしていた時期もあった。
いまでは、ごくわずかの限られたところにしか、挨拶にはいかないし、時候にあわせるということもなくなった。折々の状況に合わせ、時間も無理をしないところで、顔を出すようにしている。
そうした営業をしたからといって、仕事が生まれたりする経済状況ではなくなっている。現実に接待交際費は削られ、昔のような飲食をして、交遊を結び、仕事にするなどという場面は激減している。
ただし、出産や快気祝い、入院のお見舞い、結婚祝い、誕生祝、公演祝いといった、祝い事は、何かと心を砕くようにしている。ただ、それも限られた知り合いや友人、仕事でお世話になっている方だけだ。
本当は、そうしたことではいけないのだろうが、見栄や体裁のために虚勢を張り、形式や見かけをつくろっても、どこかで背伸びをしたり、無理をしているような気になって、返って、心が疲れ、やせる。自分は何を目指し、何をしようとしていのかが、わからなくなる。
かつて世話になった方やいろいろと心労をかけた方に、気持ちばかりの歳時の挨拶をするのは大切なことだし、感謝の気持ちをそうした形式を通して、伝えるという心配りは、日本人の美徳でもある。それを疎かにするようなことをすれば、人との縁や絆が失われてしまうという気持ちはあるが、それなら、もっと、オレらしい形でできないかと、常々思っているのだ。
オレの立場からすれば、それは、作品であるし、舞台、書き物でしかない。つまりは、仕事で恩返しをするということ。
だから、仕事が思うように運ばないと、なんだか、不義理をしているような、怠慢のような、罪の意識にかられる。もっと努力しなくては、がんばらなくてはと自分を自分で叱咤する。なにせ、普段の人間性がいい加減だから、仕事くらいでしか、まともな人間らしいことができない奴なのだ。
だだ、書き物などをしていると、これが微妙にプレッシャーになる。思うように原稿が進まないと落ち込む。
映画の秀嶋組の連中や舞台の秀嶋組の仲間で、近しい人間は知っているが、オレは、原稿が上がるまでは、実に弱々しい。闘う武器がないからだ。自分には、どうして才能がないのだと、コンプレックスにさいなまれる。ところが、原稿が上がると、こんなすごい作品はないと、自分は天才じゃないかと、自信満々になる。
それだけ、起伏が激しい。ある意味、実に危ういところで作品を考えたり、つくったりしている。
この間、内田に芝居をつけて、帰りに地下鉄の駅まで送っていたら、奴め、おもしろいことをいった。
「監督は、青山界隈で暮らしているうちは、死なないと思うけど、大好きな江ノ島や湘南の当たりに住むようになったら、死ぬような気がします…」
ちょい、どきりとした。というか、こいつ、だんだんオレのことがわかってきていると思って、驚いた。オレの罵詈雑言に、いつもは凹んでいるくせに。
実は、一年ふりに会ったNorikoにも似たようなことをいわれていた。「湘南とかにいったら、ぜったい老けるし、気力もなくなるよ」
その通り。それでいながら、いつか海の見るところで生活したいなどと考えている。結構、海の近くでのオレの生活は、いけてると思うのだれど、なぜか、反対者が多い。
さてさて、どうしたものか。年老いたオヤジのこともあり、あれこれ内省する秋。