秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

天地人

物事の進捗には 人の力がいる

舞台や映画をやる人間なら 当然わかっていることだろうが 日常のルーティンのように制作に携わって

いると とりあえず収入もえられ 生活もでき それなりにバカをいい それなりにプライベートの問題

で悩み だが へらへらとそれなりの折り合いをつけながら 生きる いや 食う ということができる

が しかし ただ食うだけなら なぜ そこにいるのだ


ある願いや思いを抱き それを実現しようと 日常のルーティンとは違うことをやろうとすると

現実と夢との 折り合いの付け方に 悩む 苦しむ

それが物を生み出すということの 本来の姿だ

齢を重ねれば器用にもなり 世渡りもできるようになる 折り合いの線が 塩梅の落としどころが

甘くなる 

結果 日常のルーティンを打破しようとしながら 打破できないで終わる

そこでは 新しい物は生み出せない 生活を 社会を 世界を変えることはできない

いまの日本映画 日本の演劇に そうした信念を見ることは ごく稀になっている


問題なのは こだわりとクオリティ そして 願いの深さだ

それを忘れれば ただ器用に物をつくっているに過ぎない 自分の楽しみとしてやっているに過ぎない

それを世阿弥は「初心忘るべからず」と戒めた

「初心忘れるべからず」とは だから 若い連中への戒めではなく オレたち大人 それなりに仕事を

して 生活に慣れに汚れはじめた それなりの奴への戒めなのだ

体力は衰え 若かった頃のような ギラギラしたことはできない

だが それでもなお 戒めによって自己を凝視し 禅的な内省をすることで

衰えた体力と知力の枠で できることをあきらめず 鍛錬し 実現せよと世阿弥は言う

「時分の花」とはそういうことだ


だから オレは 同じ歳の人間ばかり 社会的にそれなりの立場にいる人間ばかりでなく

意図して 若い奴ら 世代の違う連中ともつるむ

何事かをなすには 人の力がいる だかこそ 人とのつながりは偏りがあってはならない

年上も 同世代も そして 年下の異なる世代とも 対等な付き合いが 人の和をつくる

人の和が 何事かを進める上での 時 タイミング 天の時を生む

人の和が 何事かを進める上での 状況 環境を整え 地の利を生む

天の時 地の利 人の和

その中で 一番大事なのは 人なのだ

人とつながり 人の心をつかみ 人の心を集合する

それなくして 何も始まらない

だが そのために 最も欠かせないのは 日常のルーティンとは異なることを実現しようとする人間の

切実さだ

その切実さを生んでいる 愛だ

その愛が 広ければ広いほど 自己から遠いものであればあるほど 無私のものであればあるほど

切実さも 深い

では その無私な切実さをつくるもの 生み出しているものは 何なのか

それこそ 日常なのだ

日々のなにげない 出会い なにげない仕事の時間 なにげない言葉なのだ

まさに 日常のルーティンだ

日常のルーティンを越えて 新しき何かを生み出すためには

日々の一瞬を徹底して生きるという謙虚さの中にしかない

彼岸は 目に見えない遠くにあるのではなく

いま生きる 一瞬の 今日という時間の中にある

いまNHKの大河ドラマ天地人」が放映されるようになって 

このことに関心を寄せる人が増えているらしい

だが 日常への視線こそが 「天地人」の本来の姿であることに気づく人は少ない

芝居のことを考えると こんなことばかりが脳裏をよぎる

酒豪の編集者Rに話した本の企画を考えると こんなことばかりが脳裏をよぎる

そして 世阿弥は やはり すごいと 思いを深くする