秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

お見舞いの後、2.26慰霊祭へ

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もう10年近いが いまでは毎年恒例の2.26慰霊祭

前夜に 明日はジャケットにするか… などと準備をしていたら

Norikoからのメール 2ヶ月ぶりに来週メシをする約束をしていたのだが 

緊急入院で いけませぬの知らせ

Norikoとは もう長い付き合い 

オレが30代の頃から通っていた 在日の絵描きの店が外苑にあった 

現代美術の食えない連中 芸術好きの金持ちをたらして 

楽しようと考えてるアホなアーチストたちのたまり場のような店があった

そのオーナーが店をたたんでロスに永住してからは

ブルース狂いのその弟がやっている ちょい下北を思わせるすぐ近くの店に通い出した

仕事でロス ニューヨークにいったとき トレランスにある兄の家にやっかいになり

その別れ際 弟の店もよろしくと頼まれたからだ

在日の奴らとは家族同士のような付き合いをしていたから 弟もよく知っている

弟といっても オレより2つばかり年上だが お互い30代の頃からの知り合いだから

すぐに打ち解ける 常連ともすぐに打ち解けて その店が経営難でやめるまで通い続いていた

そこでアパレルで管理職をやってる常連仲間が連れて来ていたのが 当時奴の部下だったNoriko


ちなみに 世の中狭くて いまオレが統帥とよばれているレッドのオーナーも 奴のおやじも その店

によく来ていたらしい もしかしたら当時 店で会っていたかもしれないのだ


その頃は奴は まだ20代全般で いかにも09風のバカねぇちゃんだった 相手にならない

常連仲間の集まりには最年少ながら参加し 生意気な口を叩き ベロベロになるまで飲む

同じ九州の出身ということもあって その生意気さとベロベロが気に入った

とはいっても 当時は妹みたいなもの ほとんど説教しかしていなかったような気がする

それが 奴の人生にも あれこれあって 大人になった

いまちょい事情があって 寝る間も プライベートな時間もなく働き続けている

だから会うことも ほとんどないのだが たまに 昔の癖で妹のように 何かあると連絡してくる

普通に生きたいのに 普通にやれない不器用な人間というのが この世の中にはいる

奴もそういう人間のひとり 数年前 大人になれとこっぴどく叱りつけ 突き放したこともある 

寝る間も惜しんで働きづくめだから 何かの拍子に仕事場で転んで 脳震盪で意識を失ったらしい

病院にいったものの 自宅に戻ると 歩けない

自分で救急車を呼んで 検査してみたら 尾てい骨骨折

オレのおやじも若い頃やった 痛い

で 見舞いに行く 今回は説教はせず 冗談をいって別れる

あれだけがんばっていたのに それも神が与えた試練 前向きに考えるしかないべ

幸い 実家がしっかりしているから 心配はない だが 心配をかけたくなくて 無理をし続けた結果が

こうだ それも今回は語らなかった

オレのように人に甘えることができない奴らは お人よしだ 苦労をひとりで背負ってしまう

Noriko もう そろそろええかっこしいはやめにしろよ 熊本からかあちゃん来たら 素直に甘えろ 

ま 前のように 熊本に引き戻されるのが いやなのだろうが お嬢さんはこれだから困る

てな 調子で話をしていたら 

「今日 こんな時間にこんなところに来てていいの?」と訊いてくる

「今日は2月26日だから 慰霊祭があるんだ そのついでによった」

オレが2.26事件に一方ならぬ思いを寄せていることは オレと付き合いの長い連中はよく知っている

「あ そうか…」

それを潮に 腰を上げると 中年のまじめそうなおっさんが見舞いに来ている

ひと目で奴が勤める店の常連とわかる

なんか 奴の営業の邪魔をしているような罪悪感におそわれ そそくさと去る


2.26事件殉難者慰霊祭は今年で74回忌

遺族は高齢化が進む

若い奴が手伝いたいと寄ってくるらしいが 中には民族派だとかなんとかのバカ右翼もいる

思想性を排除しようと ご遺族は まだ闘い続けている

いまこの国に真性右翼はごく一部 リベラルな右翼は 慰霊祭を利用したりはしない

この日は どうしても酒が飲みたくなる

一部の人間は知っているが オレには2.26をモチーフにしたお蔵入りした芝居がある

亡くなった人たちの無念を まきこまれた人の無残を

オレは引き受けようとしながら 引き受けきれていない

彼らの思い残し切符を この腐った国に ぶつけていない

こんな日はだれかと飲みたくなるのだが いつもだれもいない

だから ハンナのばばあの顔を見にいく