秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

包帯のようなウソ3

当時、鑑識課にいた父は自殺死体や殺人現場の写真を記録して、そのファイルを家に置いていた。ある

日、どうやったら楽に死ねるかという話をぼくと姉が冗談交じりで話していると、突然父からそのファイ

ルを見させられたことがある。

何枚かの悲惨な写真の中に農薬自殺した女子高生の腐乱し、膨張した遺体の写真があった。

「この人はどうして自殺したと?」とぼくは聞いた。すると父は答えようかどうしようか迷ったように間

を置いて、重い口調で言った。

「米軍に暴行されて、そげんなったったい」

テレビで年に何度か神社の境内や雑木林で女性の自殺死体や他殺死体が発見されたというニュースが流れ

た。すべてではないが、その内の何件かは駐留米軍の兵士に強姦され自殺したか、殺害された若い女性だ

った。

「あんな悪いことしてどうして逮捕できんと?」母はそういうニュースが流れる度に、眉をしかめなが

ら、警察官としての父に尋ねた。

「したくてもできんたい。治外法権やけん」父はいつもどうしようもないという口調で答えていたと思

う。そして、心なしか弱い口調で、独り言のように付け加えた。

「戦争に負けたけん、しょうんなかたい…」

中島みゆきの歌で『世情』という唄がある。その歌詞のくだりに「学者は包帯のようなウソをつく」とい

う鮮やかなフレーズがある。あの頃、ぼくの家のように貧しいながらも温かな家庭がいくつも誕生してい

た中で、そうした温かさとは無縁の人たちがぼくらのまじかにはまだ沢山いた。在日朝鮮人被差別部落

への差別、廃品回収業や屠場、基地の女たちへの蔑視。そうした多くの矛盾や歪みを背中に、あるいはそ

ういったものに目をつぶりながら、多くの日本人が生きていたように思うのだ。

「木村くんのところに給食を持っていってくれる人はいませんか?」

先生がクラスに声をかけたとき手を挙げる者はほとんどいなかった。ぼくは少しだけ照れくさい思いで一

番に手を挙げた。木村くんの家は斐伊川の橋の下の茣蓙かけの家だったのだ。

父はぼくらが何かの調子でそういう人たちの話題を興味本位でしゃべったり、ことさら話題にしたりする

のを嫌った。どういう死に方が楽かという軽口にあえて不幸な死の写真を見せたのも、世の中の矛盾を知

らず、安易に死を口にすることの軽さを諌めたのだと思う。

父は鑑識という死者と対話する仕事の中で、豊かさへ向かう明るい日本の風景の片隅にある「包帯のよう

なウソ」をぼくらの知らないところで、せつなく、そして深く実感していたのかもしれない。