秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

父の詫び状4

贅沢で、放蕩な祖父は亡くなる寸前まで 女がいた。

80歳という年齢で女がいたのだから、たいしたものだったと思う。

その祖父に膀胱がんがみつかった。

父の兄は、40代の若さで急逝していたから、直系の親族の長は、次男の父だった。しかし、警察官舎住ま

いでは祖父母がいられる生活スペースはなく、また、祖父母と母の確執もあり、父は息子として、親族の

責任者として、生活費を送るくらいのことしかできないでいた。

その実の父に対しての、すまないという思いもあったのだろう。

「できるだけの治療をさせてやりたいとよ…」と、父は、祖父の手術をどうするか思案しているとき、ふ

と、ぼくら家族全員にそうつぶやいた。普段は、祖父母のことになると、余計な一言を言う母も、そのと

きは黙っていた。

現在なら、おそらくやらないだろう延命治療を父は選んだのだ。

開腹してみると、がんはすでに全身に転移しており、結局、何もしないまま閉じたらしい。いまなら、よ

り精密な検査もでき、開腹前にどういう状態かを知ることもできたのだろうが、当時は、いまのように医

療技術もがん治療も進展はしていなかった。

膀胱が張れ、尿が出せないために、体はむくみ、かつ開いた膀胱の傷が痛々しかった。

薬で意識がしっかりしていないせいもあっただろうが、すでにがんは脳に転移していて、おちんちんにつ

けられた管を取ろうとしたり、傷口に手をふれたりする。

「この一週間が山でしょう」という医師の言葉で、親戚が順番に看病に当たることになった。

看病とはいっても、無意識に傷口やおちんちんの管を取ろうとする手を握り、押さえつけておくくらいの

ことしかなかった。

そして、ある夜、父とぼくがその当番になった。

病院に行ってみると、祖父の両腕は、ベットの枠に縛り付けられていた。

「こげなことしよって…」と、父は、心無い親族のやり方にいささか腹を立てているようだった。

しかし、実際に、祖父の手を押さえてみると、80歳とは思えないすごい力だった。しかも、頻繁に傷口に

ふれようする。まるで、格闘だった。親族が、たまりかねて、両手を縛りつける気持ちもわからないでは

なかった。

医師が回診にくると、やはり尿は出ていない。すると医師は、傷口の上のあたり、膀胱のところを指で強

く押す。祖父は「なんば、しようとね! 痛かろうが!」と強い口調で文句を言う。おちんちんの管を圧

迫して、無理に尿を出せようとすると、「人のちんちんに、なんばしようとね!」と、さらにキレる。

祖父の言い分はもっともだった。だが、医師にすれば、そんなアナログな方法ででも、尿を出さないと尿

毒素が全身を回り続けるから、何とかしなくてはという思いだったのだ。

祖父のおちんちんには、だから、亡くなるまで管が通されたままだった。

父は、祖父の腕をとり、祖父の朦朧とした意識がしゃべらせる言葉に一々、きちんと反応していた。

「うちは、もう帰るけん。ばあちゃんのところに帰るけん」。祖父は、何度もそう言い、父は、その度に

「そうね。そうね。わかったけん。ばあちゃんとこに帰るけん」と同じ言葉を繰り返した。

ついこの間まで、女のもとに通い、若い頃から放蕩や女好きで、祖母に心配や迷惑をかけていながら、死

の直前になって、祖母のところに帰りたいと叫び続けた。「佐賀に帰るばい。佐賀に帰るけん」。祖父は

自分が生まれ育った、佐賀に帰りたいとも言った。

福岡に出てきて、もう何十年も経ち、佐賀に帰る家などなく、というより、その家を売ったのも祖父なの

に、そこに帰ると叫び続けた。

明治生まれの男らしく、ほとんど口を利かず、いやなことがあるとぷいと顔を背ける。料理がまずいと箸

一つ付けない。それでいながら、自分の好きなことには金も時間も惜しまない…。音楽が好き、芸者遊び

が好き、芸能が好き、そして、女が好き…。

あまりのプライドの高さとわがままの言い放題。親の権威はふりかざすし、子どもから注意されても言う

ことをきかない。

そんな祖父が、祖母のところへ帰りたい、佐賀に帰りたいと子どものように泣き叫んでいた。

ぼくは、そのとき、はっとなった。

いま目の前で、子どものようになっている祖父の手をとり、肩を抱き、少しでも不安や痛みをやわらげよ

うと必死に祖父の看病をしている父、その父は、膀胱がんで管を通された祖父のおちんちんから射精され

た精液がこの世に誕生させているのだ。そして、ぼくも、父のこのおちんちんから射精された精液がもと

となり、いま、こうして、死にかけ、醜く叫び続けている祖父やせめて、できなかった親孝行の代わりに

と必死で看病している父の姿を目の当たりにしている。

人が生まれ、生き、死ぬということは、決して完璧なことではない。

人が生まれ、生き、死ぬということは、決して、ただ美しいだけのことではない。

放蕩三昧の祖父のように、退職後少しゆとりができたとたん、女をつくった父のように、

人は、人であるがゆえに、弱く、醜く、しかし、だからこそ、いとおしいのだ。

祖父のむき出しにされたおちんちんがそれを理屈ではなく、痛烈にぼくの心に訴えていた。

人は、生きていることそのものが、いとおしいのだ。すごいことなのだ。

そこに、善悪も、世間の眼も、他人がどうかという視線も、全く意味をなさない。

憎しんだ祖父だが、祖父がいなければ、ぼくはいまこうして、この光景に出会うことも、そこから、

生きるということの本当の意味を学ぶこともなかったに違いない。

そう思うと、祖父と父の姿が違ってみえた。

祖父の死に様は、まるで、いままでの自分の生のざんげの姿のように見えた。

その祖父を必死で看病する父の姿は、また、父の生のざんげの姿のように映って見えていた。



つづく