秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

国家のシノギ

いろいろなものが、もはや臨界点や限界を迎えているのではないか…。このまま進めば、それでいいというものではなくなってきているのではないか…。

政治学や経済学、社会学といった学問にふれていなくても、あるいは、そうした政治の場、経済や社会の中で生きている人間ではなくても、そう感じている人は、じつは少なくはないはずだ。

大人から見れば、社会をまだ十分に知らない、発言力のない子どもや若年層の人々の方が、それをより強く感じてるかもしれない。当然ながら、彼らの方が、これからを生きる時間がヘタな大人よりあるからだ。それが理屈ではなく、これからを感じる力を高めている。

逆に、社会の真ん中で生きてる人間の方が、自分たちの立っている地盤が崩壊に近づいていても、それを予感することも、意識することもできない。

もちろん、臨界点や限界を感じて、それを避けるために意識的に取り組んでいる人も少なくはないだろう。だが、その意識的な取り組みがかえって、臨界点や限界までの距離を縮めている場合が少なくない。

「意識的な取り組み」が的外れであることに気づけないのは、自分たちが経験から身につけている、あるいは、ザ!ナントカと学んできた、これまで通用した、ふるまいや問題への処方箋が有効ではないことに気付けていないからだ。

いかに、これまでの常識の枠を越えようとしても、培われた経験を基本としたザ・ナントカの延長でしかない奇策は、奇策にもならない。

言い換えれば、あらかじめこうすれば、こういう答えになるはずだという前提で、その前提が通用しない課題に前のめりになり、危うい道をやみくもにばく進しているだけのことだ。

だが、それ以上に悲劇的なのは、問題への対処や処方箋が見えないために、使う過去の経験から生まれている奇策は、その場しのぎであるため、その場しのぎで自らの保全、自らの損得だけでしのごうとする。

つまり、長い目で見れば、器用な瞬間芸で、人々ではなく、いま保障されている利益だけをかっさらうという人々が甘い汁だけ吸って、後は知らないという腐った状況を常態化させる。

政権の圧力があってのことだろうが、日銀がマイナス金利を導入した。万策尽きたとところで、またもや禁手。株価だけに頼る現在の政治経済状況は、これが壊れればあっという間に、煙に巻いている経済の実体が人々に底割れする。

あれこれきれいごとの理屈やさも景気回復と格差是正対策が進んでいるかのように語られてはいても、日銀の動向を見れば、もはや、小手先の奇策では詭弁ネタがネタ切れ寸前なのがよくわかる。

凌ぎ(シノギ)の意味は、やくざや暴力団など反社会勢力が不当に収入を得る手段のことをいう。国がこれをやっていては、話にならない。もっと問題なのは、世界の先進国がこれをやっていることだ。

シノギは、人種差別、人権無視、社会を底支えする倫理や規範をことごとく壊していく。