秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

オーケストラと民主主義

民主主義の原理であり、最大の欠陥、弱点は多数決制といわれている。
 
何事かを決定していくためには、確かに、いろいろな選択肢の中から、何を選ぶかという投票をしなくてはいけない。仮に、100人の人間がいたとして、その中の1人が、いや、オレは全体の合意には妥協できない…と言い張り、かつ、100人全員の賛成がなくては、投票結果は無効であるということが前提になると物事は何も決まらないし、始まらない。
 
あるいは、議論に議論を重ねて、全体の合意がとれないから、この辺で決議をとろうという場合もある。だが、そのとき、議論が白熱した分、票数が49対51という場合もある。わずか1票の差。しかし、この場合も議論を長引かせ、物事の進展をとめないためには、ほぼ半数といわれる人々の考えは反故にするしかない。
 
それが民主主義の原理だから、圧倒的多数は常に勝者となる。かりにそれがわずか1票の差であっても原理原則には従わなくてはいけない。そうなると、少数の人々は多数の横暴だ…とか、少数を抹殺するファシズムだ…とか言い出すことになる。
 
この種の議論で必ずいわれるのは、議論の過程において、対立する両者の意見を互いがくみ取り、少なからず、反対者の声は評決された議案の内容に影響を与えている…あるいは、圧倒的多数に対する少数の声が表明されたことで、圧倒的多数は少数の声に留意するのだから、そこには民主主義が求める、民主性・平等性は担保されているというものだ。

 
議会政治というものは、実は、ある意味、こうした詭弁の上に成り立っている。これが詭弁だとわかっているから、政党や政治家は多数派工作にやっきになる。民主主義といっても、結局は数の力だ…ということをよく知っているからだ。そして、国民から反感や疑念を持たれまいと、国会対策委員会などいわば裏の調整機能をつかって、落としどころをみつけて決着する…ということをやる。
 
それをしないと、意見噴出、乱立でまとまりがなくなり、政党政治そのものが人々から当てされなくなる。現実にこの国でもかつて政党政治への信頼が凋落して、軍部の台頭が始まるし、ナチが誕生し、急速に勢力を伸ばしていったときも議会の中での多数をとるということにすべてのエネルギーを費やした。でっちあげの事件まで引き起こして。
 
ことほどさように、民主主義は多数決の原理を柱としているがゆえに、それが両刃の剣となって、政党政治そのものを崩壊させるときもあれば、圧倒的多数の力で極端な国家観や思想、政策をつくりあげてしまうこともある。なぜなら、民主的である…という規定は多数を巻きこむことさえできれば、その時々の治世者のさじ加減でいかようにも恣意的であることが可能だからだ。

どのような強権政治や独裁的政治でも、そこに圧倒的多数が支持しているではないか…という論法が生まれるのは、ある意味、この民主主義の多数決の原理を逆手にして利用している過ぎない。だから、世論を操作できるように情報を流す、事件を起こすということをやってきている。
 
昨日、夜、やっと一息つける時間があって、テレビをつけるとBSで2009年のフランス映画(日本公開は2010年)の「オーケストラ」(原題はCONCERT)をやっていた。こんな名作をみていなかったのか…ということがBSの映画の再放送をみているとよくある。これもそのひとつだった。
 
ソ連共産党の一党支配時代(映画ではブレジネフ時代)に、世界的に著名だったユダヤ系を中心としたオーケストラを時の権力がつぶした。あまり知られていないが、ソ連、ロシアでは、ユダヤ人差別は歴史的に激烈だったし、いまでもある。
 
その指揮者が30年後再び過去の名演奏家たちを集め、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲を演奏するという話だ。そこには、KGBによってシベリアへ送られ、発狂して亡くなった女性バイオリニストと、その娘、いまではフランスで著名なバイオリニストに成長した自分の出自を知らない演奏家との音楽を通じた再会が描かれている。

暗黒の時代といわれるソ連の言論思想統制の時代に生活を奪われた芸術家の姿を描きながら、その描き方が切実な中に、ユーモアとペーソスを織り交ぜ、コミカルにも描いている。主演女優のメラニー・ロランがいい。チャイコフスキーのソロパートを吹き替えなしの指使いで演奏するシーンは圧巻。

時代の影、傍流とされた人たちがこの世にはいる。まるで何かの宗教のように人々に信じられたひとつの政治理念や思想が実は、圧倒的多数のものではなく、恣意性と力によっていかようにもつくられ、ときとして、圧倒的多数の枠からはずれた人々の生活権や人権を当然のように奪っていく。
 
そのような時代、そのような社会、そのような国、そのような世界を決してつくってはならない。だが、それはまだ、いたるところで実現されてないがゆえに、また、いまこの時の同時性を描いてもいるのだ。民主主義は人々が心血をそそいで、闘い続け、勝ち取り続けなくては民主主義たりえない。
 
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