秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

憤然たる決意

東北支援の中で、より本質的で、具体的で、かつ、いまだけのとこではなく、先々を見据えた新たな取り組み…といったものが、なかなか見えてこないし、提出されない。
 
国政や行政が思うような実行力を発揮できないのは、いまや承知だ。それを業界団体や地域商店街、民間の有志などで補完しようとするのはいい。
 
だが…。有名歌手や有名タレント、芸人、俳優の慰問イベント。都市での人と人との交流の生まれない、義理や憐憫で購入していくだけの通過型の物産展。地域のまつり紹介と観光案内も、震災前と同じような判で捺したJRや観光業者、旅行代理店と組んだ集客宣伝のようなことをやっている。

不特定多数の人々に広くアピールしたい気持ちはわからないではない。被災地の人々の気持を盛り上げたいというのもわからないではない。しかし、もはや、かつてように、ただ都市部に大量の情報を広く流せば、人が来る時代は終わっていた。
 
ただでさえ、集客や動員が低迷していたところに、震災がきて、新しい取り組みを始めるどころか、震災前と同じ手法、考え方、しくみの中で、ただ復興応援を売り物にするだけで、現状を越えようとする。
 
それで一時、同情や憐憫にすがって、地域にそれらしい空気はつくれても、それが継続的に続くものでないことは自明のことだ。絆などといった言葉、心ひとつになどといった甘い言葉の先には、実はしっかり根を張った次の道標など見えてはこない。
 
これまでの自分たち地方、地域のあり方を根本から見直し、都市的なるものばかりに依存しなくても、成立しうる新しいネットワークを創造する…という憤然たる決意のようなものが見えないのだ。
 
地味でも、小さくてもいい。自分たちの手で、新しいつながり、むすびつき、出会いをつくり出す。その決意をささえるのは、怒りだ。地方のことは地方でやる。口出しするな。オレたちの街はオレたちでつくる。その決意だ。
 
もちろん、その決意に動かされ、賛同し、支援する力はいくら受け入れてもいいだろう。しかし、まず、これまでの慣習や常識によって、依存していた自分たちのしくみをその手で破壊しなくてはいけない。破壊するための、新しい取り組みとビジョンを示さなくてはいけない。
 
来月で震災から1年。判で捺した、復興支援、絆プロジェクトなど、ぶっとばせ。