秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ピクニック

昨日は丸一日、監督業で動く。週末から徳島での上映会とトークショーがあり、戻るとスタッフ会議、撮影、編集と続く。会社としては、かんばしくないのだが、制作丸受けではなく、今回、監督業+αだけでやっているので、隙間を縫って、別の作業がやれるのは、実はありがたい。

その合間に、この間、すっかり御馳走になった、S夫妻へのお礼をと、日程を連絡する。すると、「あの…バレンタインデーなので超混んでると思いますけど(笑)」というメールが返ってくるw
 
そうか…。世の中は、バレンタインデーなのだ…と、そこで気づく。オレは、実は、人の誕生日やいわゆるアニバーサリーというのがいつも記憶から飛ぶ。また、そこに趣向をこらすといったことにも気が回らない。
 
うちの姉などは、ことあるごとにそうした気遣いをし、おやじや亡くなったおふくろの記念日には、すっかり段取りして連絡をくれる。ないかにつけ、記念日対応は、女性の方がしっかりしているのではないだろうか…
 
いけないことだろうが、オレは家庭的なことや世間のイベントに実に疎い。なにかに没頭してしまうと、すっと記憶から消えている。
 
カップルや家庭のイベントに心を砕いていられる…というのは、ある意味、幸せなことだし、大事なことだと思う。それぞれの記念日は、カップルや家族というものの歴史の節目でもあるのだから。それを大事にする生活には、人が生きる大切ななにかがある。
 
しかしまた、その風景を遠くから眺め、そこにある人々の悲喜こもごもとした姿を描く人間も必要なのではないか…
 
ある文豪が晩年、車いすを押されながら、公園を散策していた。そこに、ピクニックを楽しむ、家族の姿があった。その文豪は、その風景を見て、「あの人たちは真実の中に生きている…!」とつぶやいたそうだ。当然ながら、その文豪には、ピクニックを楽しむような家族はいなかった。
 
その言葉は、文豪の後悔、あるいは懺悔の言葉だったのか。それとも、そうした真実をみつけ、語ることが大事だったのか。それ以上、何も語らなかったその文豪の思いは確かめようもない…と周囲にいた人間が後世に書き残している。

ピクニックを楽しむ姿に、人のある真実を見出すものもいれば、ピクニックそのものを楽しむだけの人もいていい。しかし、オレは、そのピクニックすら、やりたくてもできない人たちのことをいつも考えてしまう。
 
オレのピクニックは、だから、いつまでも楽しめないピクニックになってしまう…。